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消えたママ友

ママ友がいない。

子どもが生まれてから数年、子どもの誕生日をお祝いする一方で、人知れずママ友いない歴を積み重ねてきた。

今、私が何かしらのアイドルデビューをすることになったら「おひとりさママ」的な切ないキャッチコピーとともに売り出されるのだろう。

奪いにきて、一番に」「あなたに汚されたい(LINE友達リスト)」「仲・良・く・し・た・い・の」みたいな80年代のリバイバルコピーをつけられるかもしれない(昭和生まれの宿命)。
どう売られてもいい。ママ友ができるなら、なんでもいい。そんな切実さもリアルに伝えていきたい。

しかし「ママ友ゼロ」のブランディングで進んでいくには、揉み消さねばならない過去がある。

……正直にいおう。
私にも、かつてひとりだけママ友がいたのだ。ママ友経験者なのだ。

名前をエリちゃんという。

ママ友がいないと公言してきたのには、理由がある。初めてできたママ友エリちゃんは、ある日突然消えてしまったのだ。

前触れもなく、忽然と。そして、永遠に——


===


長男を妊娠中から「ママ友作る、絶対。」をスローガンとして掲げていた私は、公約を実行すべく、地域の同じ月齢が集まるようなイベントに参加したり、近所の児童館に通ったり、鼻息荒く行動していた。

右も左もわからない新米ママにとって、ママ友は必要不可欠な存在——戦友であり、理解者であり、情報網——である。

ママ友が作れなければ死。
そんなプレッシャーに押しつぶされそうな中、彼女は彗星のごとく現れた。

かわいいママだなぁ……。

それが、エリちゃんに抱いた第一印象だった。

前髪を厚くそろえ、大きな黒目を潤ませた、ウサギのようなかわいいママ。威圧感が一切なく、まとう空気がふわふわ柔らかい。

地域のベビーイベントに来ていた彼女の第一子は、誕生日が長男と数日違いだった。名前も一字違いで、家も近い。

共通点の多さに、私たちはすぐに打ち解けた。何度か近所の児童館で遊んだり、スーパーで偶然あって立ち話をした。
親友というわけでも、腹を割って話す関係性というわけでもなかったけれど、ママ友として順調だったと言って差し支えないだろう。

育休の終わりがぼちぼち見えはじめた冬のある日、わたしとエリちゃんは児童館で会っていた。何人かの顔見知りのママたちも一緒だった。

待機児童問題が深刻な社会問題として叫ばれた翌年だったこともあり、保育園希望組が集うと、話題は自然と保育園の話になる。

「私、職種的にお迎え毎日遅くなりそうでさぁ……」という1人の発言をきっかけに、雑談は仕事の話題になり、異業種交流会に様変わりした。

聞けば、お昼のニュース番組のディレクターだったり、大手の人事だったり、ITコンサルで独立していたりと、顔見知りのママたちはごっつい働きマンばかりだった。

いつもフニャッとした赤子たちを必死で追いかけながら、おっぱいが痛いだの離乳食を食べすぎるだの、平和な世間話をしている私たちだけれど、4月になったらみんな戦場に戻っていくのか。みな、勇敢な戦士のように見えてくる。



「私、実は保育士なんだ……」

宴もたけなわという頃合いに、エリちゃんが小さな声で空気を震わせた。

あまりに彼女にピッタリな職業だというシンプルな驚きと、日頃どれほどその柔らかい雰囲気に癒やされているかという感謝が口から出かかっていたけれど、エリちゃんが続けた説明に、思わず言葉を飲み込む。

「……でも特別枠とかはないよ、保育園の申し込みも、みんなと一緒なんだよ」

想定外な彼女の音声を、脳が言葉として処理するのに、数秒かかってしまった。

エリちゃんが恐縮している。なぜ……。

あとから知ったのだけれど、保育士は保育園申込時、加点対象になる地域も多い。当然の制度だと思う。園児受け入れ側の働き手が確保できなければ、待機児童は減らない。

当時住んでいた地域にも、きっとその仕組みがあったのだろう。みんなが不安な状況の中、保育士=ポイントが頭ひとつ出ていることを言えず、職業を打ち明けることに葛藤があったのかもしれない。

いつも朗らかなエリちゃんのかたく張り詰めた笑顔を、今でもよく覚えている。
社会問題は、彼女の笑顔に影を落としたのだ。



4月。
顔見知りたちは誰も落ちることなく無事保育園が決まった。みんな、合戦の現場へと戻っていく。

新たな戦いの日々で、私はすぐに負傷兵となった。新しい部署に配属され、慣れない仕事が次々襲いかかってくる。
家に帰れば、長男の終わらない夜泣き。早朝に息子が起きてくれば、周りに迷惑をかけないよう暗いうちから公園に連れ出し、帰宅後出社。
睡眠不足が続き、ランチをする時間も心の余裕もなく、緊張でお腹も空かない。1週間で、3Kg痩せた。

生後6ヶ月での復職となると、まだ卒乳前で日中胸がはることもキツかった。トイレ休憩を装っては搾乳し、ガチガチの岩になったような胸から母乳を搾り出す。

なぜ、本来子の命を繋ぐ母乳を、トイレに捨てているのだろう。子と離れ、仕事をしているからだ。ちっともうまくいかない仕事をしながら、白い血液を捨てている私。涙が止まらない。


エリちゃん、ああ、エリちゃん……。彼女はどうしているだろう。私はつらいよ。話したいよ。

戦友であり、理解者であり、情報網のエリちゃん。今こそママ友の絆をたぐりよせ、互いをねぎらいたい。

LINEを立ち上げると、エリちゃんのアイコンは、ずいぶん下までスクロールしないと出てこなかった。連絡を取らなくなって、もう何ヶ月経ったのだろう。

何度か連絡を思い立ったけれど、結局一度もそのアイコンをクリックすることはなかった。
世間話をする仲だったエリちゃんに、今の状況をぶつけるのも、なんだか違うような気がしたからだ。みんな、それぞれの環境で、戦っている。自分だけじゃない。

自然とできてしまった距離はそのまま意識することもなくなり、私はエリちゃんを思い出の中にしまったのだ。




5年後、エリちゃんと意外な場所で再会することになる。

また春がきて、長男は保育園の年中クラスになった。担任は持ち上がりだったので、生活にあまり変化はない。いつものように長男を迎えにいくと、教室に彼女がいた。そう、彼女が。


「……え?! エリちゃん?!」

エプロンを身につけ、子どもたちと遊んでいるエリちゃん。なんでここに彼女が?

「やっほー、久しぶり」と小さく手を振り「4月から担任になりましたササキです。大塚さん、よろしく〜」と、イタズラっぽく笑っている。

「大塚さん」「ササキ」……?


あぁ、そうか、彼女は担任で、私は保護者だから、名前では呼ばないのか。

え……?! 担任? あのエリちゃんが? なんで? 担任? 誰の? 長男の? 誰が? エリちゃんが? なんで? ……あ、そうかエリちゃんって保育士さんだった。でもなんで? エリちゃんはいつから気づいてた? これってドッキリ?現実? 担任? なんで? ママ友が担任? なんで?……

人はパニックになると、放心しフリーズする裏で、神経回路が大暴走する。
5秒ほど、脳が上を下への大騒ぎを繰り広げるのを、私は静かに見守った。

担任は二人いる。持ち上がりの担任と、もうひとりは、そういえば新しく移動してくる人なのだと、担任表に記載があったっけ……。名前までは見ていなかった。見ていても気がつかなかっただろう。



ママ友が、担任。

きっとこれが少女漫画だったら、展開は決まっている。

「転校生が元幼馴染?!」
「 初恋の近所のお兄ちゃんが職場の上司?!」
「 よく遊んでいたアイツが御曹司で社長?! 」

——基本的に、すべて恋愛フラグである。

実はエリちゃんは鶴で「あのとき助けていただきました」と再び目の前に現れたという、昔話フラグもあり得るだろうか。
しかしどう考えても、恩返しされるほどのことはしていない。一時的に抱っこ紐を貸したことがある程度だ。

「ママ友が息子の担任?!」は、いったい何のフラグなのだろう。
漫画偏差値が高ければ、この状況の処理と今後の展開予測の参考になる作品が思いつくのかもしれないけれど、残念ながら私の漫画偏差値は34.6ぐらいだ。
ワンピースは空島編の前で脱落したし、名作スラムダンクは今年になってようやく読んだぐらいだ(花道の不良仲間?のイケメンの人が一番好き)。

今思えば、これは失踪フラグだったのだ。

とにかく、ママ友エリちゃんは、エリ先生になった。偶然の巡り合わせだが、これは現実だった。

空気をわずかに震わせるようにつぶやいた「私、実は保育士なんだ……」といういつかの後ろめたさを少しも感じさせないほど、圧倒的に堂々と仕事をしているエリちゃんは眩しかった。

嬉しさや尊敬、そして、戸惑い。彼女との距離感は、つかめないままだった。
LINEでもして、再会の喜びを改めて伝えたり、積もる話をすればよかったかもしれない。しかし、今となってはたまたま個人情報を知っている保護者と、知られている担任という関係性ともいえる。気軽に連絡して、立場あるエリちゃんを困らせたくはない。

子どもの送迎時は、敬語を使った。敬語だけじゃ堅苦しいから、雰囲気は努めて明るく振る舞った。

エリちゃんが何をどう考えているのかは、わからなかった。彼女なりに線引きをしているのだろう、再会以来、向こうからLINEがくることもなかった。

困ったのは面談だ。
空間で二人きりになると、自分たちのどの面を、どういう加減で見せ合うのか、距離感の探り合いになる。
長男の生活態度を聞きながら、家での様子を話しながら、相変わらず私たちは敬語を使い、フランクな距離感で絶妙なやり取りを交わした。

そのころ私は三人目を妊娠していて、長男はつわりで吐く私のモノマネがとてもうまいのだと話した記憶がある。
青白い顔をしてトイレから出ると、当時2歳だった次男が心配そうに「カーチャン、げーげーしてたの?」と話しかける。すかさず長男が「げーげーじゃないよ、(音声的に自重)だよ」とリアルに再現してみせる。その神経質な厳密さと再現性の高さについて、話したのである。

エリちゃんは爆笑していた。素で笑っているように見えた。ママ友時代の、懐かしい笑顔だった。ほんの少し、体の奥の方で、なにかが緩んだ。

そう、私は、エリちゃんのその笑顔が、大好きだったんだよ……。


「エリちゃん、私たちって、どういう関係なんだろう? なんだか不思議なことになってしまったね。」

プライベートなことを話すなら、チャンスは今しかない。

面談の時間がそろそろ終わる。抱えていた爆弾の導火線に、そっと火をつける。行け、行け、爆発させろ!!


しかし、私たちは長男の成長の話に終始した。芝居をしているような気持ちだった。本当に話したいことは話せず、それぞれの役割を全うする30分。

これが、私たちの今の関係性なのだ。もう、エリちゃんに、ママ友として接することはできない。向こうもきっとそうだろう。かつての関係性にしがみついていては、ダメなのだ。

爆発させないまま持ち帰った爆弾を、わたしは自分の心の中にそっと落とした。中途半端に残っているエリちゃんとの思い出が、切なかった。

さようなら、ママ友エリちゃん。


爆弾があげる黒い炎を、静かに塵になっていった育休中の日々を、わたしは静かに見つめ続けた。

===

長男がその保育園で年長クラスに進級することはなかった。家族の人数が増えるので、私たちは東京の外れに引っ越したのだ。

以来、エリちゃんとは一度も会っていない。よほどの偶然がなければ、もう二度と会うことはないだろう。

人付き合いはそこまでうまい方ではないけれど、もっといいやり方があったように思う。
「ご縁だね、これからは担任と保護者として、よろしくね!」と、最初に言葉を交わすだけでも、よかったのかもしれない。きっとエリちゃんはエリちゃんで、別の戸惑いがあったはずなのだから。

エリちゃんの存在をどう位置付けたらいいのかは、いまだにわからない。
ママ友時代の思い出は、自ら闇に葬った。もう、ママ友エリちゃんはいない。

彼女と築き、ゆっくり広げたはずの空間は、今もぽっかり穴が空いたままである。





引っ越し先で新たなママ友フラグが立った話も、よかったら読んでください。こちらはめちゃんこハッピーな話です。

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お読みいただき、ありがとうございました。



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