お風呂クリーニングをお願いしたら、壺を買わされていた話
壺を買わされたことはあるだろうか。
私は、ある。
それも、一度や二度ではない。
そもそも、家系的に壺買わされ体質なのである。
聞くところによると、会ったことのない曽祖父は、天皇家の賀席で腕を振うほどの料理人だったらしい。
しかし、借金の肩代わりをした友人が行方不明になり、店を畳んだと聞いている。
祖父はオレオレ詐欺で300万円ほどを失っているし、実家を見れば、子の教育のためにと注ぎ込んだ、給料何ヶ月分かわからない愛の化石が、そこかしこに散らかっている。
スタイルこそ違えど、代々さまざまな壺を買い、人生に波乱を巻き起こしてきたのである。
そんな、ある種由緒正しい血統を持つ私だから、壺は身近な存在だ。
今回は、先日手にしたとある壺について話したい。
我が家では、お風呂掃除は夫が担当だ。
明確に担当が決まっているわけではないが、互いに手をつけていない家事を臨機応変に対応することで、環境秩序をバランスさせている。
ある日、夫が「お風呂の掃除を、一度プロにお願いしてみるのはどうか」と言い出した。
平日は浴槽をお湯で流す程度で、気合を入れて掃除をするのは休日のみ。
しかし、休みはとにかくチビッコ暴れん坊将軍たちを外に連れ出すことが最優先なので、まとまった掃除時間を取ることが難しい。
最低限のことはできても、鏡を磨き上げたり、床をピカピカにするところまでは手が回らない。
気になる汚れもあったので、大賛成だった。
夫がいろいろ調べ、とあるサイトで見つけた評判のいいおじさんにお願いすることにした。
決行は、お互い在宅勤務の平日、昼間。
最初の挨拶と最後のお支払いのみ対面対応すれば、仕事中におじさんがお風呂をキレイにしてくれるという。
最高ではないか。
おじさん来訪のタイミングで夫が会議中だったため、私が出迎えた。
ビフォーを見られる気恥ずかしさこそあったものの、アフターのお風呂場を想像すると、自然と笑みがこぼれる。
期待を胸に、私はおじさんを笑顔で出迎え、お風呂場へと案内した。
「あ〜、きてるねこれは」
お風呂場を見るなり、彼はそう呟いた。
鋭い眼光は天井に向けられている。
え……?!きてる?
それはどういった意味で……?
ハラハラしながら話を聞くと、どうやら天井に水滴がついているという状況が、プロ視点ではありえないらしい。
悲しいかな、こうして我が家は、おじさん来訪10秒程度で「風呂管理能力レベルがどん底」であることが確定した。
「ところでこの窓、いつも開けてるの?」
おじさんは、換気のために開けていた窓を指さして、私に尋ねた。
当然だ。
換気をするための窓なのだから。
見よ、この「私が換気責任者です」という佇まいを。
開けてやらずして、この窓の存在価値をどう活かせよう。
質問の意図がよく分からないまま、しかし堂々と私は答えた。
「はい、お風呂上がったあとに、換気の意味でいつも開けt」
「だめ。それ一番やっちゃだめ」
おじさんは、私の肯定を聞くや否や、全否定の姿勢をとる。
え!!!ダメなの?窓なのに?????
私は混乱した。
この窓にしてやれることは、開けるか閉めるかだけである。
窓だって、きっとそれを望んでいる。
繰り返すけれど、窓なのだから。
それともなにか、この窓に至らないところがあったのだろうか。
窓に否定フラグが立ったことを察した私は、それまで何の感情も抱かなかった窓に対して、不思議な情を持ちはじめていた。
開けちゃダメなら、この先の人生、どうやって窓と共に生きていけばいいのだろう。どう、この窓をいかしてやればいいのだろう。
家主として、窓のためにしてやれることって、他にある……?
もしかして、世間は「窓の取り扱い概論」みたいなやつを履修する仕組みがあって、自分だけ取りこぼしているのだろうか。
インフルエンザで小学校を長期休みをした、あのときか……?就職活動を投げ出してプラプラしていたあの数年か……?
どうしよう。
私、窓について、何も知らない……。
不安な気持ちを抱えながら、私はおじさんに尋ねた。
「あの……窓なのに開けちゃダメなんですか?」
「お風呂場に窓はね、必要ないの。なんでみんなつけるのか本当に理解できないね。いいですか?
あの窓は今後一切開けないでくださいね」
そう言って、おじさんはお風呂の換気構造を説明し始める。
どうやら換気は24時間つけっぱなしが基本中の基本。窓を開けることでむしろ換気の効率が下がるため、外の空気で換気をするという発想は愚の骨頂ということらしい。
風呂管理能力レベルがどん底になったのって、むしろ換気のために窓を開けていたせいってこと……?
なんだそれ……。
おい窓、どうしてくれるんだ!
いかにも開けて欲しそうな感じで毎晩誘惑しよってからに!!!!
急に窓が憎らしくなってくる。
お前さえいなければ、俺は……俺は…………!!!
「奥さん、ちょっと中に来てみな」
窓への憎しみを静かに燃やし始めていた私を、浴室に誘導するおじさん。
どうやら、窓の開閉による換気力の違いを実践してくれるらしい。
浴室のドアの下部に指を当てろいうので、言われた通りにする。
「窓を閉めた状態がこれね。ほら、わかる?空気感じる?」
確かに空気が当たっている。なるほど、ここから空気を吸い込んでるわけね。
「はい……空気、感じます……!!」
感動と気づきを含ませた声で、私は応じた。
今後のお風呂管理能力が明るく展開することを予感させるような返事である。
おじさんは満足そうに頷き、今度は窓を開けた。
「奥さん、どう?変化わかる?」
変化……。
私は、指先の感覚を研ぎ澄ませた。
そういえば、窓を開けた瞬間、空気がひんやりしたような気がする。なるほど、空気の温度も換気に影響しているんだな。
「はいっ! 空気の温度が変わりました!!!!!」
私は胸を張って答えた。
事実の正しい認識、質問者との阿吽の呼吸、元気のよさ。100点である。
これは、お返事全国大会でベスト8も視野に入る返事だっただろう。
お風呂管理能力全否定により、自己肯定感だだ下がり状態だったので、この正解は私の自信をとりもd
「違う!!!!!!!」
えっ……違うの……?!
「温度の話をしてるんじゃないよ。ほら、空気の強さ、変化感じない? 全然違うでしょ?」
あ……そ、そっちね!空気の強さね!
そうだよね、窓を閉めた方が効率がいいわけだから、当然だよね。
(でも温度も変わったよね……?)
「さとし君はりんごを3つ持っています。ただし君は2つ持っています。りんごは全部で何個ですか?」という文章題に、「2+3=5」と答えてバツをもらうような、(それも正解でいいのでは……? )というタイプのモヤモヤを感じつつ、
「……感じました!!!へぇ、こんなに違うんですね!」と、思考停止で答える私。
「いい?奥さん。とにかく覚えておいて、この窓ね、絶対開けない。わかった?」
「はい!」
「親が死んでも絶対開けないこと!」
「はい!!」
「ドアも開けっぱなしはダメよ?」
「はいっ!!!!!!」
「家族が入るたびに、換気スイッチね。1日の最後だけじゃなくて、毎回よ?OK?」
「はいぃィィィっ!!!!!!」
熱血イエスマンと化した私は、頭の中で換気の教訓を何度も繰り返した。
さようなら、開くことが生き甲斐だったであろう窓よ。
今日から君は、開かずの窓だ。
君の誘惑は強烈的だったよベイビー、幾度も楽しい夜を過ごしたね。
君のせいで、俺はお風呂管理能力ゼロという烙印を押されたけれど、後悔はしていない。だって人生は何度でもやり直せるのだから。
俺は俺の道を行く。君も君らしく、第二の人生を生きておくれ……。
「鏡もねぇ……」
窓との別れに浸る私には目もくれず、しばらく磨いていない鏡に視線を移しながら、おじさんが呟いた。
「この鱗になってるとこ、市販のやつじゃダメなのよ、結局表面を削って落とさないと、鏡の内部の方まで浸透しちゃってるから」
彼は、よくある市販の鏡磨きの商品と、プロ仕様の違いを説明し、鏡の汚れがどのようにつくか、原因や成分まで詳しく解説してくれた。
水の成分が悪さをしてしまい、とにかく市販のは効果がないという話だ。
「あの……」
完全におじさんの空気にのまれながらも、私はおずおずと質問を試みる。
「ここぞというときはプロにお願いするとしても、日々の掃除という観点でできることはないのでしょうか……。例えば最後に入った人が鏡の水滴をふきあげるとか——」
「やらないでしょ。ていうか、できないでしょ」
ど正論の矢が、ドスッ!と心臓を射抜く。
確かに、天井に水滴をつけて平気なやつらは、毎日鏡をふきあげるわけがない。
「みんなね、最初は頑張るのよ、2日とか3日はね。でもまぁ続かないよね」
彼の指摘は当たりすぎていて、ぐうの音もでなかった。
「この鏡全部はやってあげられないけど、追加料金なしでこの一部だけやってあげるよ、サービスね。全部やれるほどの薬品も今手元にないからさ」
それって、元から想定していたサービスじゃないの……? と冷静に受け止める私と、教祖化しつつあるおじさんを前に思考停止になりはじめた私が、脳内で静かに議論を始めた。
私:(感じる……壺のにおいがする……)
私:(そんなことない、サービスなんだし!)
私:(追加オプション提案されても、よく検討してね?約束だよ?)
私:(大丈夫、わかってる!)
呪われた血が、細胞たちが、にわかにざわつきはじめる。
心臓はドクンドクンと強く脈打ち、手は汗ばんでいるのに、喉だけは妙に乾いていた。
「で、追い焚きって普段使ってる?この配管、掃除したことある?」
おじさんは話題を湯船に通じている配管に変えた。
我が家には、追い焚き文化がない。
子どもたちは夕飯前に一番風呂に入り、夕飯後に入る私は「高温差し湯」で対応している。
※夫は朝シャン派
「ここねぇ……掃除してないとすごいのよ。見る? 別のお宅のやつなんだけどさ」
おじさんはおもむろに携帯を取り出し、動画で配管の掃除動画を見せ始めた。
それはなかなかの衝撃動画だった。
ゴボゴボと灰色だか緑だかの汚れが浴槽内に広がっていく様子は「見たくないが見てしまう」という人間心理を刺激してくる。
聞けば築何十年の、古い配管のお宅だという話だ。これがマンションである我が家に当てはまるかは分からない。
「そもそも使わないなら、まぁ掃除しなくても一応問題はないんだけどね」
と前置きをしながら「オプションで防カビ選んでたけど、換気のコツさえしっかり守れば5年は問題ないはずだから、配管掃除に変える? 追加料金かかっちゃうけど、差額でやってあげるよ」と、おじさんは提案をし始めた。
私は、ごくりと生唾を飲み込む。
きた……!
壺きたよ……!
脈々と受け継がれてきた血が喜んでいる。俺たちの出番だ!買え!買え!今こそ壺を買え!!
しかし、私は冷静だった。
10年ほど寄り添っている夫は、世の中を冷めた目で見つつ、怪しい壺をことごとく割って歩くような、冷静筋マッチョである。
彼との生活のおかげで、へにょへにょだった私の冷静筋はずいぶん発達していたし、課金対象の判断力もついてきた。
壺売りだって怖くない。
DNAより、後天的に身につけた筋肉が勝つことだってある。
ほら、筋トレは裏切らないって、言うじゃない。
それにしても、さすがはプロである。
追加料金の説明を聞きながら、私はしきりに感心していた。
「本当は怒られちゃうんだけど、内緒ね!伝票も分けておくから。
俺は配管おすすめよ、防カビは今日キレイにして換気守ってくれれば正直いらないから。まぁ決めるのは奥さんだけどね。使ってない機能だしね———
あ、決めるなら今決めてね、掃除始められないから。」
クロージングのテクニックも完璧だ。
私は「なるほど、こういう流れで語られると、人は動くのだな」と、妙に落ち着きながらおじさんの話を聞いていた。
基本の15,000円。そこに、防カビオプションでプラス3,000円。その3,000円の代わりに、8,000円程度の課金の提案。
差額を差し引いて、23,000円程度。
基本プランに1.5倍のオプションは、なかなか大胆な提案である。
知識がほぼない素人を相手にした場合、壺センサーが発動しかねないギリギリのラインを攻めている。
一瞬、夫に相談を持ちかけようかという考えが頭をよぎった。
しかし、夫は会議中である。
相談したところで、一笑に付されるだけだろう。
落ち着け、私。これは迷う壺ではないぞ。
「追い焚きを使わなければ不要」だとおじさん自身が言っているではないか。
使わない機能に課金する必要はない。動画も、オプション誘導のテンプレなのだろう。
一方で、見えざる配管に何らかの汚れが影を潜めてるという事実は、少し気がかりだった。
でも、使わないんだよなぁ、追い焚き。
差額、5,000円。
正直数年に一度と思えば、たいした金額ではない。
いや、でも使わないなら…………
うーーーーーーん……
「奥さん、どうする?」
「……お願いします」
DNAの勝利である。
呪われし血の濃さ、そして恐ろしさよ。
体内に響きわたるDNAたちの勝利の雄叫びにおののきながら、しかし私は静かに曾祖父たちへ語りかけていた。
店を失う可能性があったって、友情を優先した曾祖父。
娘への心配を第一に、即時判断した祖父。
身銭をきって、子どもの夢に投資をしてくれた両親。
もちろん、思うことはいろいろある。
詐欺の類は完全にアウトだし、同じことが目の前で繰り広げられたとしたら、阻止側に回るだろう。
しかし、彼らの判断には、愚かさと同時に泣けるほどの愛と覚悟を感じるのだ。
お金ではなく、対象への愛を優先するタイミングが、人生にはたびたび訪れる。
私は、100%きれいになったお風呂で、気持ちよく一日を終えたい。
夫にも、子どもたちにも、毎日リラックスしてほしい。
そのための壺であれば、喜んで買おうじゃないか。
【ちょっとおせばすぐ落ちる】という私の生態を知り尽くしている夫には、きっとこの決定をバカにされるだろう。
常々「君に壺(本物の方)を売る自信がある」と呆れられている。
悔しいが否定できない。おされて落ちて、ここまで生きてきた。
壺の要否は、この先の自分が決めるのだ。三方よしの壺だって、存在するはずである。
こうして私は、5,000円で壺を買った。
それから4~5時間ほど、おじさんは浴室にこもって掃除をした。
私も夫も、仕事をしたり昼ごはんを食べたり、各々のタスクに集中する。
音も気にならず、再びおじさんから声をかけられたときには、彼の存在を忘れていたほどだ。
数時間後、ピカピカに仕上げてもらった浴室との対面は、感動的だった。
やはりプロはすごい! という一言に尽きる。
湯船の下まで分解し、完全に汚れを落としてもらったことを記録写真で確認し、我々は納得感を持って料金をお支払いした。
「窓だけは気をつけてね」
最後に念を押して、おじさんは帰っていった。
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あの日から毎日、快適なお風呂生活を楽しんでいる。
もちろん窓は一度も開けていない。
思えば人生は、壺だらけだ。
恋愛も、結婚も、就職も、ある種の壺売買ではないか。
人生が提案してくるさまざまな壺を、買ったり買わなかったり、痛い目みたり、幸せになったり、そうして人は日々を歩んでいくのである。
もちろん、悪に染まりきった壺も存在することは事実だ。注意深く過ごすに越したことはない。
しかし、中には価値観を見つめ直すきっかけをくれたり、新しいチャレンジに対する覚悟として存在してくれることもある。
冷静筋マッチョな夫だって、私という壺を買ったからこそ、今があるのだ。
壺を叩き割り続けていたら、開けない未来もある。
(「それもまた人生」ではあるのだけれど。)
なんのために壺を買い、どう活かしていくか。
どんな壺と、どう生きていくか。
大切なのは、その点なのである。
自分の壺コレクションを誇ろう。
愛と覚悟、そして経験の記録なのだから。
いいじゃない、壺買わされ体質で生きる人生も。
これからもたくさん壺を買うだろうし、子どもたちにも勇気を持って挑んでほしいと思っている。
もちろん、例に漏れず「呪われた血」を引き継いでいる我が子だ。冷静筋だけはマッチョ夫にしっかり鍛えてもらうつもりである。
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