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たとえば、ジュニアの要望で
ポケモンがもらえると言うので
家族で牛丼屋さんにいく。

送料は附属のポケモンを持って
変えさせて頂きますとばかりに、
小2の息子は自ら、◯◯イーツと名乗り
配達に繰り出している。

という訳で、ばぁばとじぃじ、
も今夜は牛丼である。

けれども、本当は、
仮に、毎日外で食べるとしたら、
牛丼より、
小粋な大将と女将が営む、
食堂がよい。

老若男女が訪れる息の長い、
友達や知人に教えたくなるような。



木の家のつくり手も、
同じではないかと思う。

チェーン店のブルックリンスタイルを、
毎日頂くのは胃がもたれる。

フランチャイズの南欧風なんて、
歳をとったら受け付けなくなるだろう。

はたまた、大手のコンサルタントの
傘下の利益最優先主義の在り方も、
内実を疑ってしまう。

知らない間にツケがまわり、
気づいたときには
自らに多大な影響及ぼすことも、
食によく似ている。

住宅で言えば、出来た時が一番で、
あるとき、急に劣化するような
つくり方がそうではないだろうか。

そんなことを、毎日のように
事務所に届く、チェーン店、フランチャイズ、
大手コンサルの勧誘DMを睨みながら
考えたりする。

それらは、

如何にして簡単に利益を得るか、
誰でも簡単にそれは得られること、
しか謳っておらず、、、

住まい手に心を寄せた言葉は
ひとつも書いていない。

手間は、かける為にあるはずなのに
省くことのみを推奨する。
ものつくりの本質は、
そこには書かれていないのだ。

今だけ、金だけ、自分だけ。
を謳うコンサルタントと、
それに迎合して成果を挙げたと、
同業者向けのサクラ
を買って出る同業者さん…



だから僕らは、

美味しくて飽きのこない、白いご飯
みたいな木の家をつくりたい。

アレやこれやは身の丈に合わないので、
間口の広い食堂ではなく、
専門店を営むのです。

木の家の中でも、日本の木、
できれば地元の木材しか使わない、 
風土と暮らす木の家を専門
としていたい。

地域固有の素材を、
住む人と同じ故郷を持つ 
地域に住み暮らす職人が、
仕上げるのだ。

特に、木をみせて使うことに気を遣い、
梁などの架構を魅せるあらわしつくりで
柱を隠さない、真壁しかつくらない。

全うな木の家の中でも、
その建て方を絞って
門戸を開いている。

毎日食べるとしたら、
それはうどんで云えば
素うどんである。

それで、いいのだ。

かやくは、住まい手が賑やかに
時々で振る舞ってくれるのだから。

出汁にこだわり、シンプルで
真っ直ぐな麺を打つ。

そんな素うどんのような、
住まいがあってもいいと思う。

そんな素うどん屋さんを探している人に、
出会えたらいいなあ。



最後に。

それには情熱が必要です。

「私はものづくりはプロダクトアウト
であるべきだと一貫して主張している。

こちら側が楽しみながら、
本当に好きなものや強い思いを
込めたものをつくって提供すれば、

それに共感して選んでくれる人は必ずいる。

たとえ一人でも
本気で面白がって取り組めば、
それに応える人は必ず現れる。

伝わらないのは、
つくり手のパッションが
足りないのだと思う。」

中川政七商店十三代目
中川淳

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