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「先」

8月の満月を見ながら。満ち満ちた8月の月に心を寄せていると。昼間の騒がしい太陽の残骸も。月の光と重なって夜がわずかに深くなる。どこかにすこしだけ鎮まりを感じてホッとします。

7月までの慌ただしく動く流れがゆっくりと終わっていくのを。満月の夜に見送った。流れに流されてしまったわたしの迷いごと。わざわざとこの両の手に留めなかった感情も。思い残すことなく満月のもとに見送ってみました。

残念。こんなことばがあるように。念を残すことだってあるけれど。やっぱり、同じ場所に立ち止まっていようとすればするほど。わたしはわたしの流れのなかに命を活かしているのを感じます。

お風呂の掃除なんかしているとときどき胸の仕えが残り湯と一緒に流されていく。そんな気がします。わたしの残念が排水口にキューッと吸い込まれていく感じ。快感!

見送った流れの先には。わたしの想いの先があるように思います。今日、やり損なった残念は。再びの流れに乗って好機となって再会できるはず。

舞台の場面が変わりながらもひとつの物語であるように。流れは早くなったり。緩やかになったり。場面を作りながらひとつの物語になっていくんだね。

先日、義母が亡くなり。わたしの元に両親からお香典が送られてきました。母からのちいさな手紙も同封されていました。ほんの数行の懐しい母の文字を読んでいる途中、ハッとしたわたしがいました。

「やっちゃんにはとても悲しいことですが」
お悔やみの手紙なので。流れとしたらどこもおかしな所はないのですが。

わたしたち夫婦も義理の兄妹たちも。80歳を超えての義母の死を大往生ばかりのお別れで済ませていたように。ふと、思いがはしったからです。 

義母と同世代の母から送られたことばはとてもさり気ないものでしたが。わたしの流れに渦をつくりました。クルクルっときゅんとした渦が流れに浮かんで。音も立てずに消えていきました。

やっちゃんに母からの手紙を見せながら。今夜はやっちゃんのお母さんのこと思い出しながらの夕餉にしようと誘いました。

「やっちゃんにとって1番思い出すお母さんのことってなにかしら?」

「そうだね。なにかな。」

「なんだっていいのょ。つまらないことで」

「あ、あの人、書くこと好きだったから。よく、あることないこと地域の冊子とかに書かれたょ
たいてい話を盛ってるんだょ。あれ、嫌だったなぁ」

「ハハハ。ものかきあるあるじゃん。
お母さんらしいわよ」

「今は奥さんに書かれて。
ヤレヤレだょ。」

「、、、、、、」

わたしたちの義母を偲ぶ気持が届いたか定かではありませんが。新盆を前に大切な忘れ物に気づけたのは。母からの手紙でした。

追記
今回の画像はみんなのフォトギャラリーから
yokoさんのイラストです。
月のかけらを集める手みたい。





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