見出し画像

「粛」

ひまわり色の麻のワンピースに頭を入れてから両腕を通す。窓を開けたベランダにはじっとりした動かない夏の景色があります。午前中に珍しい予定を入れたことでほんの少し気分はよそ行き。あっさりしたワンピースを選んだのは正解だな。とニヤリ。

洗いたての麻は太陽の粒子をたっぷりと吸収してパリッと音がしそうなほど乾いています。素材として気持ちよいのには麻が人の肌との距離感を知っていることも大きいはず。麻は人が無意識に発している生命力を感知して。人に媚びない距離感を知っているそんな気がしています。

繊維になる前の植物の麻はかなり強くて成長するにあたって農薬や除草剤などが必要ないと教えてもらったことがあります。現在、貴重な繊維となって商品も高価な印象があるけれど。実際、高価なものも多いですが。麻の成長の特性を活かして手ごろな感覚で寝具やキッチンなので使えるようになったら嬉しいなと思うこの頃です。

「バッサリお願いします」。床に散らばった髪の毛と一緒に。わたしのいらなくなった諸々がパサリパサリと落ちて行きます。日に焼けた素肌が一皮むけて夏が過ぎ去るでしょ。そんな感じでわたしの夏が過ぎ去っていくのを鏡のなかのわたしが見ています。

お墓に持っていくような話を誰かに打ち明けてみたら。深刻なはずの傷口が晒してみたら結構、きれいに瘡蓋になっていたりして。あら、あの深く醜いあれは何処へ。みたいなことがあるように。誰かになにかを洗いざらい話すことと美容院で自分の為だけのひと時を過ごすことはどこか似ていませんか?

自分ではどうにもできなかった傷が誰かの手を借りることで癒えることがあります。
なんでもかんでもお墓に持っていくより手ぶらで空に還る方が楽しそうだしね。

ひまわり色の麻のワンピースにショートカット。夏の終わりの絵葉書みたいじゃない。もちろん後ろ姿でね。うふふ。
首筋に風が吹いた。動かない夏が動いたような風が涼しかった。

第四十一候では8月28日から「天地始粛」てんちはじめてさむし。と読むそうです。粛の意味を調べてみるといくつかの例文が載っていました。そのなかの1つに「物音をたてない」とありました。秋、山は華やぎ圧倒的な赤や黄色に染まり、小さな草むらは虫の声たちが響く美しい季節の背後には閉じていく自然の姿が影のように寄り添って見えた。その影を「物音をたてない」と表現したのだろうか。
自然は陰と陽の質のなかで生きている。陽は陰に支えられて陰は陽に支えられて。1つになることは永遠を生きること。そのことを知っているから。

この秋は「天地始粛」。粛の世界を感じて月など眺めてみようかな。UFOに会えるかも。
えへっ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?