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「旅」

「明日、前に言っていた青い池に行こうか?」。そんなやっちゃんのことばで予定はトントン拍子に決まりました。翌日、水筒と帽子の気軽で小さなおとなの旅が始まりました。高速を軽快に走り出して生活圏を後にすると。それだけで気分が違ってきます。気がかりな家の用事も明後日の父の検査結果も。景色が飛ぶように心の気がかりも飛んで行く。


気づくと車内は静かだった。いつも何かしら流れている音楽がないせいで。つられておしゃべりも砂浜にかくれた貝殻のように見つからない。シートに深く背中を沈めて青空を走るような空間を壊さないように目を閉じた。家を出る時の自分と今の目を閉じている自分は別人にしか思えなかった。一瞬にして縄張りのなかの私から旅人になってしまったみたい。こんなにこんなに小さな旅のはじまりなのにね。


途中SAのスターバックスでサンドイッチ休憩をした。順調だった。何もかもが順調だった。空も風も光も。私もやっちゃんも。すべてが順調なのが可笑しくなるくらい。


高速道路を降りて下道に入り景色が断然近くなると他所の町に来たことを肌で感じる。家のつくりや流れる川の水の量や速さ。そして土の色も。高速道路とは違いざわついた雰囲気が車窓越しからも伝わってくる。人が暮らしている呼吸が行き交っている。私たちは山口県美祢市にやって来ました。


青い池とは別府厳島神社の境内にある湧水の池のことです。いつ頃に湧き出たのか調べてみても大昔としか解りませんでした。なんでも水が湧き出た時に宮島の厳島神社の宗像三女神を分霊として祀ったご縁で別府厳島神社と命名されたようです。


ラピスラズリとエメラルド2つの石が池底に眠っているかのような碧色の池。静かな水面からは想像できないことに。毎秒186リットルの水が湧き出ているそうです。水源の上に小さな波紋が浮き出ては風に邪魔されるように形が崩れて消えて行く。水の呼吸がさやさやと音をたてて微妙な振動があたりに伝わり独特な気配がありました。


池の水は地元の人たちの生活水でもあり手を入れないようにと看板がありました。青紅葉の木陰から陽のあたる碧色の池を眺めていると。どこからか大らかな声がして洗濯籠を抱えた女たちが何やら楽しそうににぎやかにしている。しゃがんで洗い物をしながら鼻歌のご機嫌な女もいる。いつか見た美術館の絵画がそのまま動き出したような。古い異国の水場の風景が今の時代に重なるように生きているのを私の額が感じている。いつの時代も水は全てを浄める神聖な場所であり。人が集う日常の社交の場でもある。写真が色あせるように女たちの姿が遠い日の夢になってしまう。祭りの後のような寂しさが青紅葉の葉に乗ってふわりと空に消えてゆく。夢から覚めても池は美しい姿で私を迎えてくれている。水は直接体内に取り入れなくても充分に湧水の力が私を循環させるのを感じることができた。この感覚も水の持つ転写の力の一部なのだろうか。水源から広がる命の波紋をみていると。私の内側から自然と「ありがとう」のことばが湧いてくる。水に導かれた「ありがとう」。


別府厳島神社のすぐ裏にニジマス料理のご飯屋さんが開いていた。もちろん、この池の湧水で育った神様の依り代のようなニジマスをその場でさばいていただけるのです。私の足はもう看板を見たときからご飯屋さんに向かっていました。


飾り気のない風通しのよい建物に座ると。開け放された窓からは白樺の木立の間から社が見えています。神様の奥座敷みたいね。私たち夫婦は無言で顔を見合わせてうれしい気持ちを交換するように笑顔を見せあった。


ニジマスは唐揚げと塩焼きそしてお刺身の三種類になって私たちのお腹を満たしてくれました。新鮮なニジマスはお腹のなかでピンと跳ね上がったかもしれない。つられて私も跳ね上がりそうな。元気になる御膳を堪能いたしました。


此処から車を20分ほど走らせて白糸の滝に向かいます。人の手は入っていますが人里離れた山の奥にある滝。今日は水の旅です。


秘境とまではいかないけれど山の陰の氣は満ち満ちています。途中、滝のマイナスイオンを含んだ氣に変わると。気温が僅かに下がったのを神秘的に感じました。この山にもたくさんの動物が生息しているのだろうな。山の水を飲み木の実を食すたくさんの動物たちの住む領域にお邪魔するわけですな。もしかしたら招かれざる客人の可能性が大きいのだろうな。などと思いを巡らせながら目的の滝まで徒歩15分までになりました。


不動明王に護られた滝の激しさには潔さを感じました。滝壺は浅く丸みがあり蓋の無い水瓶みたい。旅を終えた龍がその体を休めるにはもってこいの角の取れた水瓶のフォルムの中央には平たい石が浮いていて。そこでは龍が顎を乗せて大きな目玉を太く長いまつ毛で隠して寝息をたてているに違いない。時々、目を覚ましては不動明王と日本の行く末をあれこれ話しているのかと想像すると有り難いやら可笑しいやら。


主の留守をいいことに平たい石に乗ってみた。滝の勢いが体を通って足の裏に抜けていく。見上げた滝口はあんなに細いのに。岩を伝った水は幾筋もの流れに分かれて落ちて行く。クジャクのように羽を広げた滝は迫力があります。龍の鱗のような飛沫はマイナスイオンの球体となって肌にぶつかり弾けます。龍が螺旋を描くときキラリと光るのは。マイナスイオンの球体が絡まっているからなのかも。人の知らない高みから球体をばらまいて天の氣とひとつに溶けあって雫になる。雫は地上の祝福の日の雨となり人に恵みをもたらすのだろう。


帰りの車中。「結婚した年に萩・山口に長い旅したね?」とやっちゃんに聞かれたけれど。私はすっかりと忘れていました。けれど、あまりに素晴らしい旅の終わりだったので。そこはそこ。そうよねと言葉にする代わりに。ゆっくりと頷いて瞼を閉じて見せたのでした。

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