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「朔」


たくさんたくさん夏の太陽を浴びました。もう充分ですと感情は素直に顔に出てしまいます。眉間にシワシワを寄せて見上げたあの太陽を懐かしく思い返しているベランダの風の中。

夏、陽の氣に満たされた体は。秋、自然と陰の氣を求めるように月を追いかけます。夜の闇に月が浮かべば地上には瑠璃色の布が静かに降りてきます。布の向こうには誰かの昨日の夢が置きざりのまま転がっています。

色のある夢も色の無い夢も。記憶に残らなかった夢も。どの夢もみんな瑠璃色の布に包まれて月に還っていくのでしょうか。

朔はものごとのはじまりを意味します。月の第1日目を表す漢字です。今年の前半はお悔やみが重なりました。朔日参りも気持ちを優先して見送っていました。10月朔日の朝。晴れ晴れとした空がお参りに行こうよ。と誘うものだから。わたしもつられてお休みのやっちゃんを誘ってみました。

やっちゃんの右手に奉納酒を預けて。鳥居をくぐり300段の階段をあがります。時折、私達夫婦の間を風が通り抜けていきます。

「神様かな?今の風。」 
隣で肩で息するやっちゃんに話しかけると。
「神無月だょ。留守番もいやしないょ」
愛想のないことばが返ってきました笑

確かに神無月は神様が出雲へお出かけです。
ですが、天照大御神様はじめ天津神と呼ばれる
神々は神社に残られています。お留守番かどうかは知りませんが。だから安心して神社へお参りしていいのです。なんなら旧暦の10月となればまだ少し先のお話になりますし。

と、やっちゃんに言いたかったのですが。
なにせ300段ある階段の途中でしたから。納得した訳ではないのですが。心臓のことを考えて黙って階段をあがることにしました。

朔日のお参りを済ませると。宮司さんの奥さんがお抹茶を振舞ってくださいます。緑深い鎮守の杜で。上手に泡立ったお薄を季節のお菓子でいただくと。乾いた喉がゴクリと鳴ります。

境内に身を置くと。遠くのささやかな自然の音が耳もとに聞こえてきます。風に擦れる木々の葉音の間を鳥の囀りが横切ります。誰かの柏手の音が放射状に広がります。

あがってきた300段の階段をひとつひとつおりながら。あがったらおりる。あがっておりてひとつなんだなぁ。そんなこと思いながら朔日参りが終わっていきます。

あがっておりて
おわっていきます。


ちょっと前の写真です。


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