バス停に向かう火星人たち
「傘をさしてバス待ちをする火星人」についての噂を、あなたもお聞きになっていると思います。とんだ目撃情報は枝葉をつけて拡大してしまい、いまや都市伝説化していますね。
どうか、みなさん忘れてください。見逃してください。
世の中の頭の固い老人たちは、みな一様に肩をすくめて、風を捕まえるような話だと呆れ返っているそうですね。それでいいんです、それで。
信じなくていい話は、そっとしておくことが最善なのです。知って空恐ろしくなることは、この宇宙には山ほどあるのですから。安心というのは、知らないでいることなのです。
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そのバス停はハイウェイのちょうど真ん中の、サービスエリアしかない砂漠地帯にひっそり立っています。バス停に使われた金属は半世紀以上の年を経て、錆ですっかり腐食しています。どこもかしこも穴だらけです。
だから「ボロボロのバス停をタコ星人と見間違えた」というのが、世の中のまともな解釈になっています。
そうですよね。
でも、一般常識は現実に実体として存在するわけではありません。私たちの心のネットワークに住む、ただの共通認識に過ぎないのです。
それはそれで悲しいけれど、そう思いませんか?
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火星人たちは長年の過酷な乾燥をものともせず、ここあそこで暮らしてきたのです。我々もまた、あなたがたに負けず劣らずの頑固者なんです。ひょろりとした体躯の生物をよく見かけるのは、マボロシなんだと思わせようと私たちは情報操作しているけれど。
さて、そろそろ私もまたあの場所に行かなければなりません。そう、例のバス停の場所です。
あそこには私たちの先祖代々伝わる神殿があるのです。神殿がそびえるのは、ちょうどバス停の真下にあたります。
もちろん、掘ったって何も出やしません。埋もれているわけでもありません。お互いの時空の層が異なっていますから。私たちの目から見ると、古い神殿の真上にあなたがたのバス停が尖塔のように突き出ている格好です。
ふふ。これも何かの縁ですな。
そして私たちは地球人の傘を拝借しては参拝するのです。傘のことですか?あれにはですな、私たちには思いもよらない効能がありまして、数億年のあいだ眠り続けた記憶が蘇るのです。
あなたがたの傘の商売は右肩上がりとなり、私たちの文明も再生されつつあるというわけです。二兎を追ってはいけないとあなたがたは諭されますが、さて、このあとどうなるのでしょう?
ではでは、御機嫌よう。
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