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諜報員のマチガッたユウツ

ファイルにアクセスしたのはいつだったのだろう?プロパティを開けてみた。作成日は6月末日、つまり夏の前、まだ蝉も鳴いておらず、火星じゅうの渓谷がシダ植物で覆われ、蛾が飛び交っている時期だった。

私はそれから一歩も前に進んでいない。もうこの夏の蝉がすっかり死に絶えたというのに。

ファイルに付けられた名前は、半年前の私の名前「いつか/となり」。報告書をまだ完成させていないなんて、どうかしている。記憶が一過性の残滓であることは、この仕事で嫌というほど思い知らされてきたのに。

諜報活動に対する忠誠心が、これほどまで無力化することが信じられなかった。「いつか/となり」より以前の私は、誰からも模範生と評されるほど努力家だった。火星当局の組織改編が続き、マークする対象が頻繁に入れ替わった。そのたび、ターゲットの社会的立場から趣味、交友関係から異性関係に至るまですべて調べ上げ、報告書にまとめた。

最終報告書のことを、私はいつも「三行半」と呼んで仕上げていた。書いてしまえば、それでおしまい。ターゲットとは、さようなら。

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半年も経ってしまえば、情報は鈍化してしまい役に立たない。ターゲットの周辺の変化に報告書が追いつかなくなる。「いつか/となり」の収集した情報は、もう古くなってしまった。

今でも諜報活動は継続していて、新しい情報も日々得ている。ターゲットの趣味がかなり歪であることも、危機管理上の綻びがあちこちに見えていることも、だらしのない性癖であることも、続々と分かってきている。

「いつか/となり」から「あすの/もより」に更新してからも、マークする対象は継続された。彼担当はもう一年以上になる。報告がうまくいかないのは、ターゲットとのつながりが長期間に渡ったことが原因だろう。諜報活動に定期的な「三行半」は、大切な儀式なのだと思い知った。

「あすの/もより」となった私は、もはやターゲットである彼の、ありとあらゆる面を知ってしまった。裏の裏まで知ってしまったと言っていい。当然、そこに直感的な勘違いも含まれているので、幻想的な完全体であることは避けられない。でも、相対的な観察には必ず限界がある。

この状態に陥ることを、人は「恋をする」という。

*

諜報で油断すると、決定的なミスは必ず起こる。朝、ターゲットの愛車ベントレーのわきを歩いている時に、うっかり本人とすれ違って挨拶を交わすことになった。動揺していた私は、すでに諜報員失格だった。

裏の彼まで知っている私にとって、純粋な日常で面と向かい接することは、耐えられないくらい考えられなかった。フィクションであることがノンフィクションに置き換わるくらい、その差は大きく過酷だった。

その決定的な事件から少し遡る頃から、ターゲットの行動は私に向かっていた。正確には、誰も居ない場所にメッセージや仕草を返しはじめた。通常なら異常性のある行動で片付くが、今の彼の行動はそうとは言い切れなかった。なぜなら、その先には隠れた私が居たからだ。

それは彼に霊感が備わっていることと関連していた。

常に見られることを「密かに受け入れる」という奇妙な彼の性癖は、そうした霊感に基づいているらしい。だが、今回のケースは霊的なものに向けたものではなく、現実の肉体を持つものに対して、彼はメッセージを送っていた。私の雰囲気を察して、気遣ってくることすらもあった。もはや諜報活動の意味が崩壊していた。

なかなか書き上げられない「三行半」ファイルを前に、かつての勘を取り戻そうと私は努力した。恋というものは、すべての価値を覆す恐ろしい力をもつため、用心が必要だ。そこで「自らを誤魔化す」というスパイスを足すことに決めた。

このままでは真正面から立ち向かえない。

私はプロの諜報員なんだ。

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