【短編SF小説】グッナイ
火星に秋がやって来ようとしている。どうしてだろう、三月だというのに。
ラジオのボリュームを精一杯上げて、世界の声を漏らさず聞きたい。木枯らしが木々を凍らせてゆく理由がわからない。誰か教えてほしい。
ラボのスタッフたちはすでに冬眠装置に待機した。この異常事態を想定した退避のために、食料を燃料をそして生きる望みを温存するために、眠りにつく。
そして、春が来るのを待つ。この想定外の厳しい孤立のために、わずか十数名の初期火星スタッフは母星との遮断の時を迎える。
たった一人残された監視のわたしは、ひとりひとりのスタッフに「グッナイ」と声をかけて、冬眠モードのスイッチを押していく。
*
春が来るまでの間、わたしはひとりきりのラボで朝を迎える。計器類のチェックがわたしの主な任務だ。
部屋のなかはとても寒い。地球のラジオは日増しに暗さを増していく。笑いが消えて、むなしいほど士気を高めたがる音楽が流れる。番組はニュースばかりで、無表情な声が呪文と化していく。違うラジオ局にチューニングしても、世界中の声が沈んでいる。
だめだな、とわたしは諦めてラジオのスイッチを切る。欲望が世界を中毒にさせてしまったのだとしか思えない。
このタイミングで地球との交信が途絶えてしまい、わたしたちが見放されてしまったら、冬眠装置は自動で切れてしまう。すべて地球からリモートで操作されているからだ。このラボのあらゆるデータは消去され、室温調節も酸素生成装置も動作を止め、すべてが長い眠りにつく。
あんなに数百億もの人が住む星なのに、地球はすごく脆い。すごく残酷で、欺瞞に満ちている。星の意思決定は、わずか数名の気まぐれで動いている。
だから、ひとりきりのラボでの目覚めは、毎朝が奇跡だった。
*
外を強化ガラス越しに見ると、雲は一切ないのに暴風が吹き荒れている。砂を伴う嵐は約半分で、あとの半分は視界の良好な透明な嵐だった。
透明な嵐は怖い。超高速で流れる砂が遥か遠方に見える。太陽はいつもの四倍以上の輝きで大地を焦がす。夜空は宇宙空間からみる満天の星で、宇宙線量の計器はレッドに振れ切っていた。
ラボがスペースシップ並みの頑丈な造りであることは、幸いなことだった。
嵐が過ぎて火星に春が戻ったら、飽きるほどの会話を楽しみたい。
「グッナイ」とわたしは毎晩、冬眠ポッドに声を掛けてまわる。
朝消したきりのラジオは、レコードの音楽に置き変わる。エンドロールには、せめて我を忘れるような夢だけでも見ていたいんだ。
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