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かかし症候群

静かな音楽が流れていた。ロンド形式の繰り返される旋律は、水の滴る音にそっくりで、炎天下で聴いていたわたしは、つい良心の呵責に押し潰されそうになった。深呼吸をして我を取り戻すと、静かな音楽のなかをターゲットに向かって突進した。奴らが飛び立つ前に、捕まえるんだ。

「捕まえた」と感じた手応えは、一瞬のうちに消えた。追っていたわたしの身体はふわりと浮かんで、虚空の中をゆっくりと落下した。

*

すべてが作り話のような火星の暮らしは、いつも退屈だった。今みていたような夢は繰り返されて、その変容したものを見つづけていた。わたしという存在すら作り物に思えてしまう。

ずっと同じことの繰り返しは、地獄のどこかの地区にありそうなものだから、わたしは火星が幸せの星だとは思えない。ダンテが連れて来られた地獄が火星にあったと言われても、わたしは驚かない。

*

そんな悩みをラジオに投稿したら、どんな旋律かなんて譜面も書いていないのに、夢で聴いた雨粒のような音楽が選曲されて流れた。誰の音楽なのか、パーソナリティは秘密にして黙っていた。その代わりに、こんなコメントをを喋っていた。

「かかしが立っているのは、作物の収獲前ですね。懐かしいものですよ」

「君もかかしだったのか!」とわたしはラジオの前で驚いた声をあげた。そうだ。ずっとかかしに憑依していたことも忘れていたなんて、どうかしている。かかしに一度憑りつくと、わたしたちはなかなか離れられなくなる。

この状態を、わたしたちは「かかし症候群」と呼ぶ。

来年の秋までの時間を、ひとり錆びついたラジオで気を紛らわせる日々が続くのだろう。

小屋の外では静かに雨が降っていた。

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