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ルドルフの選択

ルドルフは頑固な性格ではなかった。何事にも無頓着なわけでもなかった。ところが、散発する内戦が激しさを増していっても、けっして彼は国を離れたがらなかった。所有する農場を手放そうともしなかった。ルドルフはニュースの時間になると必ずラジオのスイッチを切った。

近所の仲間が一緒に逃げようと誘いをかけても、彼は明日の用事を理由にずるずる立ち退きを先延ばしにした。この騒乱のさなかに、明日の個人的な予定なんてあるはずがなかった。

未知の爆弾が飛び交うかもしれない、とだれもが口をそろえて噂した。これから火星で最初の本格的な戦争が起きるのであれば、なにが起きたっておかしくない。それに流れる噂は、子どもたちの予知が情報ソースになっているらしく、現実味を帯びはじめていた。

近隣の農家たちは、取るものも取り敢えず国外かまたは辺鄙で安全な場所に退避した。急いで兵士に志願する者もいた。この国のどこが戦場になってもおかしくなかった。世の中は戦うこと以外は無益だというムードで満ちていた。

*

やがて、おびただしい数の装甲車が数え切れない歩兵を伴って、このあたりの農地を縦断するようになった。

兵士たちは近道であれば、悪路であろうと耕作地であろうと、お構いなしに踏み込んでいった。彼らによって、さんざん農作物は刈り倒され、食べることができるものは無断で持ち去られた。装甲車から吐き出される有害な油は、豊饒な土壌を汚染した。

「世の中が落ち着いたら土を入れ替えて、そして耕しなおそう」とルドルフはカーテン越しに溜め息をついた。目を凝らすと、さらに向こうから歩兵の一団が近づいている。次から次へと、きりがない行軍だった。

内戦という状況も、敵味方の線引きが曖昧で、だれがだれを憎もうとしているのか複雑すぎた。身に着けているものさえ取り替えてしまえば、相手方の陣地とのあいだを素知らぬ顔で出入りすることだってできただろう。

ルドルフには逃げることすら意味のないことに思えた。大きな流れに惑わされても、結局損をするだけだと経験から知っていた。

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いつもは雄弁な空も、非常時に入ってから静まり返っていた。輸送プロペラ機は、安全保障上の理由から飛行を禁じられた。無理に飛ぶと、敵の偵察機と判断されて味方から撃ち落とされた。空輸停滞の影響はあらゆる消費活動に影響を与え、食料は枯渇し、市民の生活も麻痺した。これまで優先されてきたことは、すべて後回しになった。

だから、なんのための戦争なのだろう?と誰もが首を傾げた。誰を守るための戦争なのだろう?なぜ急いでいるのだろう?どうして首脳陣の主張のいさかいだけで、どうして武力衝突になるのだろう?

市民感情とは裏腹に、日に日に兵士の数は増えていった。似たような表情をした兵士たちは、みなとても若かった。ほとんどが火星生まれの若者だった。彼らはこれから起こる戦争の、すべてのことを知っていた。

地球から移住してきたルドルフにとって、その特殊な能力とは縁がなかった。未来を教えてくれる家族も、家には居なかった。ルドルフは独り身で、火星の流れのなかに立ち尽くす一本の杭だった。

*

玄関のけたたましいベルで、ルドルフは目を覚ました。幾万もの呼吸と幾万もの銃器の音の混ざり合う気配を感じた。どうやら家は、おびただしい兵たちに取り囲まれている様子だった。

しぶしぶ扉を開けると、勲章をたくさんぶら下げた一人の将校が立っていた。背後に兵団の姿はどこにも見当たらなかった。

「朝早くすみません、ルドルフさん」

将校は見慣れない丁重な手振りで、ルドルフに挨拶した。動くたびに幾万もの気配が彼の背後に感じられた。

柔和な将校の顔立ちは、十代にしか見えなかった。顔色はすこぶる悪く、行軍による睡眠不足か作戦による疲労をうかがわせた。少し猫背気味で、眼光が険しかった。

「もうじき戦いが始まります」とさっそく将校は本題に入った。「この一帯はすべて戦場になるでしょう。砲弾の雨が降り、血と油で大地が染まることになります。だからルドルフさん、どうかあなたはすぐに逃げてください。どんなに希望を抱いたところで、この世界の流れは変わりません。砲弾が空腹を癒す食べ物になることは決してありません。それはあなたも十分ご存じのはずです」

ルドルフは彼の言葉を快く思わなかった。すべてを投げうって大勢が憎しみ合うより、口汚くても酒を酌み交わすほうがましだった。

*

将校はルドルフをなだめるように、ズボンのポケットから一枚の写真を取りだした。いつごろ撮影されたものなのか、さっぱりわからなかった。間違いないのは、この家によく似た場所を写していることだった。屋根の雰囲気や壁が、今と微妙に食い違っているのが奇妙ではある。畑には見慣れない色とりどりの作物が実っている様子が写っていた。

「この写真をよくご覧ください。これは普段お見せできない極秘資料です。ここには戦後の様子が写し出されています。畑の土壌を入れ替えるのに数年を要して、このとおりです。とてもよく実っているでしょう!今の家は敵の標的になりやすいので、これから私たちが完全に取り壊します。そのあと私たちがそっくりそのまま、このように建て直すことになります。それが、この写真です」

ルドルフは若者と話すとき、昔からいつも混乱した。まるで未来から来たか、もしくは時間を逆行する人間と話している錯覚に襲われた。それは若者の能力だから仕方ないと当然わかっていたが、慣れることはなかった。

どうやって予知可能な彼らがわざわざ戦うのか、よくわからなかった。彼らに未来を見抜くことができるのなら、戦争の必要がないようにルドルフは思えた。

「ここまで手はずを整えて、市民の犠牲を払ってまで、どうして国同士が殺し合わなくちゃならないんだ?」とルドルフは若い将校に疑問をぶつけた。その問いによっては、反逆罪に問われる可能性もあった。

「人助けのためです」と将校はバツの悪そうな表情で答えた。ルドルフが落胆したのは、将校の的外れな答えからだけではなかった。未来を予知できないルドルフでも、人の心の動きを読むことはできた。将校はお茶を濁しているだけとしか思えなかった。それに将校はどこか人間離れした不自然さを備えていて、彼の誘いを受ける気には到底なれなかった。

わたしの未来を将校は見抜いているのだろうか?とルドルフは恐れた。きっと見えているのだろう。これから答えることも、すでに彼の記憶がなぞっているだろう。それなら、どうして将校はわたしを、わざわざ説得する必要があるのだろうか?

「時間がわたしたちを裏切ることもあるからです」と将校が唐突に説明しだした。「未来は完全ではありません。それだけはどうすることもできないのです」

将校が語ったことは、思いがけずルドルフをハッとさせた。未来が不完全であるのなら、大きな流れも万全ではないはずだ。将校がわざわざルドルフを説き伏せに来たことは、その重要な分岐点だからなのではないか?

「そういう解釈も成り立ちます。でも、それでは私たちの計画はすべて無効となってしまい、彼らはことごとくつまづいてしまうでしょう。そうなることは想定されていないのです」

将校は静かに泣きだした。嗚咽が彼の肩を震わせると、辺りで幾万もの人の動揺がさざ波のように起こった。将校は久しぶりに泣いた気がした。それは将校にとって想像もしない出来事だった。


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