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火星人かもしれない女の子とバス停ですれ違う

僕たち火星昆虫愛好チャット仲間は、真夏の午前にオフ会をすることになった。街のはずれのバス停で朝に待ち合わせて、すごく辺鄙な所にある火星で唯一の昆虫博物館に行く予定だった。参加者は全員で4名、内訳はグーフィー3世、ベッカム太郎、火星人ラム、そして僕(新生まことちゃん)である。

みんな初対面だったし、知っている名前はハンドル名だけ、顔はアバターだった。現地でどうやって相手を見分けるのかなんて、事前に相談していなかったな、とバス停に着いてから気づいた。今さらみんなに相談しようにも、電波の具合が悪すぎて、連絡もとれない。

とにかく熱気が凄まじい。バス停の横の鬱蒼と生い茂る山林からは、アブラゼミの火星変種の鳴き声が、沸騰する湯を連想させる勢いだった。地球ではもっと風情があったと聞くのだけど。

待ち合わせ時間前に、一人の女の子が歩いて来た。今日のオフ会に参加するチャット仲間のうち、女の子に火星人ラムがいたので、もしかすると彼女の可能性があった。人見知りな僕は、途端に少し緊張した。

火星人かもしれない女の子は、緩めの粋なブルージーンズを履いていた。髪の色は少し淡くて、小さめのショルダーバックを左肩にかけている。全体的に小ざっぱりした感じで、極めて常識的な落ち着いた印象があった。いつもの火星人ラムってこういうキャラだったっけ?彼女はずっと携帯端末を確認しながら歩いていた。

彼女が火星人ラムだという証拠はなかった。優柔不断な僕が、どうしようかと考えているうちに、何事もなく彼女はそのまま通り過ぎてしまった。そして、少し行ったところの角を曲がって、火星人かもしれない女の子の姿は消えた。

今の彼女は火星人と違う人だ、と僕は納得しようとした。僕の中の火星人ラムは、火星人そのものだった。ぶっ飛んでいるか、すごく大人しいか、とにかく変わっている人というイメージだった。チャットでの発言からのイメージがそうだった。だから、あまりにもギャップがあり過ぎると思った。

*

ところが、また足音がした。

数分も経たないうちに、火星人ではなかったかもしれない女の子が、消えた方角から再び現れた。やっぱり携帯端末を見つめながら、こちらのバス停のほうへと近づいて来る。とてもきれいな脚だし、昆虫よりも爬虫類が好きそうなセンスの良さがあった。

もちろん昆虫より爬虫類のほうが素晴らしいとは言わないけれど、お金が掛かるのはやっぱり爬虫類だった。思い込みで判断しちゃいけないってわかっているけれど、捕虫網を持っている彼女の姿を想像できない。とても素敵だった。

バス停の前を通り過ぎる、その瞬間だった。

くしゅんくしゅんくしゅんくしゅんくしゅんくしゅんくしゅんくしゅんくしゅんと、彼女は立て続けに合計9回くしゃみした。

そうだ。火星人ラムの書き込みに、くしゃみが止まらないことが、笑い話によく出ていたのを思い出した。僕は人見知りも忘れて、火星人ではなかったかもしれない女の子の顔を見た。そして僕と目が合ったまま、冷静そうな表情がぐちゃあっとなった。

僕は名前通りまことちゃんヘアーで、楳図かずおのファンでもあるんだけれど、そのヘアスタイルを自慢していたのが彼女にとっての目印になったらしい。

「はにんちこー、てしまめじはー」とチャットとおんなじ挨拶を交わした。喋り出すと、彼女は確かに火星人だった。

*

アブラゼミの唸りがどんどん勢いを増していった。グーフィー3世とベッカム太郎はまだ現れなかった。約束の時間をもう30分もオーバーしている。残念だけど、昆虫博物館は午前中しか開館していない。それにバスの発車時間も限られている。運行本数が少ないのだ。もう少し待って、それでもだめなら、二人だけでバスに乗り込むことにした。

バス停で火星人ラムの奇妙な日常生活の話題を聞きながら、僕は暑さで汗びっしょりだった。これまでのチャットでは聞けなかったような、変わった話ばかりが火星人から出てきた。

僕は昆虫以上に、自由奔放な火星人のことが気になりだしていた。

今の僕たちが昆虫だったら、すごく素敵だなと思った。

いつまで待っても、あとの二人の現れる気配がなかった。

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