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人生おあいこ

一枚々々数えていくと、その数は彼女の歳になった。歳をとったものだ。ずっと若い頃の彼女だったら気絶しそうなほど、今じゃ皺だらけになっているし、歯だって一本残らず抜けてしまった。でも、だからといって、世界を恨んで憎まれ口を叩く気分に、今はなれない。それは未来を高望みできる人の特権だから。

かたかたとガラス窓が揺れて、火星の地平線を蜃気楼が漂いはじめる。毎年郵送される生存確認証明を、彼女は束にして輪ゴムでまとめてしまうと、250という数字はもうどうでもよくなった。どうしてこうも時間というものを数えなくちゃならないんだろう?

たゆたう蜃気楼のビルは、少しずつ横に移動していく。あれが、ラクダにまたがる行商人達だったらいいのに。賑やかな時代ってあったよね、物が溢れ返ってわくわくする。不思議なものね。まるで昔と人が違ったみたい。彼女は肩をすくめて、鏡に向かって舌を出した。

ラジオのスイッチを入れると、誰かの物語の朗読が流れだす。話の冒頭を聞き逃したけれど、ある程度のあらすじを彼女は想像で補った。目を閉じると眠りに落ちそうなので、いつものように筆ペンを手にする。描き慣れたスケッチが、不安そうな登場人物の姿を描き出す。どんどん世界が広がって、スケッチ帳の一枚が埋め尽くされてしまう。そして、ああ疲れた、と彼女はペンを止める。絵を見直すと、元々のストーリーの片鱗もなく、異なる世界が描き出されていた。

いつの間にか蜃気楼の行進は消えて、殺伐とした砂漠だけが広がっている。いつもこうなのよ。彼女はつまらなそうにガラス窓を開け放した。熱気を含んだ新鮮な外気が、部屋中に流れ込んでくる。ついさっきまでの創作で高揚した気分は、すっかり入れ替わる。250枚の証明書は、熱い風もなんのそので、机の上にでんと腰を据えている。

壁の書棚に並んだスケッチ帖にうっすらと砂が積もって、また風が吹き飛ばしてゆく。こんなに時がゆっくりと感じるなら、もっと恋をすればよかったな、と彼女は思う。

でも、もう心配事はたくさん。別れも、もうたくさん。みんな足して引いて、人生おあいこ。

また、窓がかたかたと揺れた。蜃気楼がやってくる。

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