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マーズ、エウロパ

いきなり、こんな調子のセリフから始まる映画ってあるだろうか?

「火星から金星に、さらにタイタン経由でエウロパに大量の資金を送金していますね。その場合、あなたは罪に問われる可能性があります」

あったような気がする。リバーサイドの喫茶店で話しかけられる主人公たち。

私は火星で生まれて、火星でそこそこの生活を送って死ぬつもりでいた。

まだ二十歳だけど、数十年後のことは見通しているつもりだった。だって、みんなそうだもの。

だから、とても唐突で予期していなかった。

*

一体、この男は何を言っているんだろう?と私は訪問者をじっくり観察することにした。昔、地球に昭和という時代があって、その頃の喜劇映画に出てきそうな、痩せた感じの成り上がり者の配役。「スラスラスイスイスイ」と歌いだしそうな雰囲気すらある。

「どうして私がスタバでくつろいでいること、ご存じなんですか?」と問いただしてみた。

「それは簡単です。あなたは税務署にマークされ続けていて、当事者の私たちにも情報が洩れているからです」

「税務署ですって?」私はやましいことが無いわけではないので、少しだけ目が泳いでしまった。税務署から情報が漏洩しているなんて、セキュリティがひどくない?

「ほうら、思い当たるでしょう?」と成り上がり役の喜劇役者が、得意げに言い放った。「だから、私はあなたに助言しにやって来ました」

*

沈黙。こんな人の多い場所でする話題でもないだろう、と私は思った。

「助言ですって?あなたは税務署の人?」と私は眉をひそめた。

「先週、エウロパから到着したばかりです。エウロパというのは、まがいもなく木星の周囲をまわる衛星のことです」と差し出された名刺には『パロウエ銀行エウロパ支店取締役』と印刷されていた。

「弊社の一年前の資料に、あなたの入出金記録がありましてね」と喜劇役者は声を潜めた。「それが、地球の平均的な国家の一年分の予算に匹敵する金額なのですよ……」

*

エウロパの名を耳にすると、私はいつもカニのことを連想する。幼生時代のメガロパという名前と、その透き通った不思議な姿。

「今の私には図書館で派遣で働いているだけの、僅かな収入しかないんですよ。手取りなんて、スズメどころかミミズの涙ですよ。やっと半年ぶりにスタバで自分へのご褒美をあげていたというのに」と私は日々の節約生活を思い出して、憤った。

好んで身も心も貧乏になる人なんていない。ほとんど世捨て人同然の私にとって、富を手放したことは生きるための選択だった。

「まあまあ」と銀行の取締役を名乗る喜劇役者は言った。「ある程度のご事情はすでに存じ上げております」この男は銀行の役員にしては、若過ぎないだろうか?ミスキャストか、ベンチャー企業か?

「税務署に先に差し押さえられてしまっては、私どもの銀行の蓄えが吹っ飛んでしまう恐れがあるのです。そこで、お互いのことを考えて、こうしませんか。あなたを私の会社で雇うということで?」

「エウロパ銀行でですか?」

*

「パロウエ銀行です」と喜劇役者は訂正した。

「これは、もみ消し工作ですか?」

「そういう表現もあるでしょう。しかし」と喜劇役者は一呼吸置いた。「私どもはあなたと一蓮托生にあるのです」

そんなことを言われたら、オチるじゃん。

私は黙ったまま喜劇役者の姿を、もう一度確認した。火星人が私をからかいに来たわけでもなさそうだった。その辺のごろつきが私をカモにしようとしている風にもみえなかった。話の筋もしっかり通っているし、背広の襟にはパロウエ銀行の証のバッジも付けていた。

職場のシフトのことや、溜まっている業務のことが頭をよぎった。今すぐにというわけにもいかない。代わりのスタッフを募っても、なかなか集まらないだろう。

「今の仕事のことがあるので……すぐには……」

「ご安心ください。あなたのお仕事の派遣先には、私の秘書がしばらく出向します。手筈はすべて私どもが円く整えておきます。まあるく」これでは、まるで王族レベルの扱いだ。「まあるく」と私は心の中で復唱した。おかしな響きだった。

私はチョコレートチャンクスコーンの残りをゆっくり食べて、温かいコーヒーを空にしてから「わかりました」と答えた。それまでに喜劇役者が諦めて帰ってしまったら、パラレルワールドがよぎっただけだと忘れるつもりだったのに。

*

叔父の遺族から振り込まれる遺産なんて見たくもなかった。すごく高額で、自分で築いて生きる意志を見失いそうな存在だった。だから、右から振り込まれたものを左へ流れるように送金した。

今のような安月給生活も嫌だけれど、すべてが手に入るだけの生活はもっと嫌だった。

このお金は、地球で大統領と呼ばれた叔父さんが、地球を丸ごと株式会社みたいにして儲けたお金だった。だから、その一部でさえ相続するのは、気分の落ち込むことだった。相続税もろもろを差し引いても、この額だ。

罪深いお金は戻ってくるものなんだな。素通りしただけでは、決して許してはくれないのだろう。

火星で投資できる場所が無くなってきているから、エウロパ開発に全額投げ込んだっていい。

取締役を演じる喜劇役者が首を縦に振らなければ、その時はまた考え直そう。

エウロパにはまだスタバが出店していないから、誘致してもいいな。競合店も数社、呼んでおかなくては。

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