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新しい世界線を凧は示す

砂漠に凧があがると、世界線が歪みだす。一本の道が枝分かれしたり、ありもしない町が幻のように現われる。

「誰が凧をあげているんだろう?」

実際、確かめるために現地まで行ってみると、誰もいない。あがっていた凧すら見えなくなっている。歪んでいた世界線も真っ直ぐに戻っている。

「今日こそ、凧をあげている奴を取っ捕まえてやろう」

少し強面の相棒が自信ありげに言う。双眼鏡を首から下げて、重力計やガイガーカウンターを腰に下げて準備万端だ。

だが、来る日も来る日も、無人の凧ばかりだった。

「凧そのものが幻だとしたら」と僕が指摘すると、相棒はとても悲しそうな顔をした。

「二人ともが幻を見ているのだとしたら、何もかも信用できなくなるよ」と相棒はつぶやいた。

*

凧の形態はいつも同じで、縦に長い長方形だった。色はすっきりした白。一つだけあがることもあれば、数個同時にあがることもあった。

凧の数が増えるにつれて、世界線の歪みは大きくなった。相棒は理数系の人だ。彼は相関関係に規則があることに着目して、一つの数式を組み立てた。観測データと整合性のある、シンプルで完璧な分析だった。ただ、僕はひとつだけ気になって、相棒に質問した。

「このグラフが右に行けば行くほど、世界線の歪みが大きくなる。では、さらに増えると、世界線はどうなるんだ?」

すると、相棒は顔を両手で覆い、困ったように頭を横に振った。

「この火星の世界は特異点を通過して、引っくり返ってしまう。つまり、幻の世界のほうが勝つことになる」

「それはおかしい。特異点は通過できない」

「確かにおかしいんだ。だから、この式のどこかに、都合のいい定数を設定すべきか、激しく悩んでいる」

結局、相棒は特異点を回避する定数を挿入しなかった。観測から導き出した式に敢えて手を加えるという、その理由に納得いかなかったからだ。

*

ある日、僕は凧からラジオ電波が送られていることに気づいた。周波数は短波だった。

「これは一体、何を伝えている電波なんだ?」

スピーカーから再生される音声に、相棒は興味津々だった。

「さっぱりわからない。音程が跳躍だらけの歌のようでもあり、演説のようにも聞こえる」

「俺には笑っているようにも、泣いているようにも聞こえる。意味はわからなくても、ボキャブラリーの豊かな生き生きした世界が聞こえる」

受信状態はそれほど悪くないはずなのに、言語の種類さえ推定できなかった。その言葉は似ているようで根本的に何かが異なっていた。

「よく喋り歌う国の人たちらしい。いろいろ発信したいことがあるんだろうな」

「ラジオに字幕があればいいのに」と相棒は理系らしい空想に浸り始めた。電子回路を頭に描いているに違いない。しかし、その前に、本部にこの怪電波の件の報告をしなければならない。

僕たちは受信した周波数や録音データ、時刻などを報告書にまとめていった。

「楽しそうなラジオ放送なのに、俺たちはどうしてこんな密告みたいなことしていなきゃならないんだ?」と相棒は不満そうだった。

*

朝方、非常事態を報せるサイレンが、けたたましく鳴った。僕も相棒も仮眠室で叩き起こされた。

最高レベルの緊急事態サインが出ていた。二人とも激しい眩暈にふらついた。急いで窓から外を確認すると、すでに明るくなった晴れた砂漠の空に、数十もの凧が舞い上がっていた。

相棒の顔が一気に蒼褪めた。僕はとっさに、彼の作成した凧と世界線の相関関係のグラフのことが頭をよぎった。

こころもち身体が重く感じられた。何かにぐいぐいと下から引っ張られる気がした。重力計を見ると、値は通常の1.5倍以上を示している。この非常事態を伝えるべき本部への回線は遮断されていて、報告はおろか、救助信号すら発信できない状態だった。

「僕たちは完全に孤立している。唯一つながる電波は、あの怪電波だけだ」

「その凧は何を話している?」

僕はスピーカーのボリュームを上げた。いつもの跳躍の激しい声に混じって、聞き慣れた言葉が挟まって流れてきた。それは僕たちの世界のニュース音声を引用して流しているようだった。

『停電が続いている地域では、誰もがバースデイを祝っています。まるで親しい誰かを歓迎するかのような、幸せなムードに包まれています』

「なんだ、この事態は?」

「まるで理性も狂気も失った世界のようだ」

その時、相棒はあることに気づいた。特異点はあくまで人の認識できる範囲内の限界にすぎないこと、実際に通過する時は人の想像のレベルを超越するであろうことに。

僕たちは数十もの凧を見上げながら、この世界線のストリームが過ぎ去るのを待つしかなかった。

この世界の変容の観測データを取得するため、気象観測気球を飛ばした。真上に吸い込まれるように上がる白い気球は、やがていくつものデータを送り返してきた。

僕たちはその数値を見て、目を疑った。火星特有の大気組成とは異なる、懐かしい数値が並ぶデータは地球そのものだった。僕たちは振り出しに戻ったというのだろうか?

ここは一体どこなんだ?

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