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目線の高さについて考える
今回は目線の高さについて考えようと思います。
視座とか言うのかな?難しいことは分かりませんが、
その世界にいるとその世界の見方しかできない。ということです。
子どもの頃自分の家では当たり前だったことが、友達の家では違った経験をしたことありませんか?
僕はあります。例えばカレーライスに生卵をかけるとか。
カレーの時は牛乳だという友達がいて、大激論になったことがあります。(お互いに帰って試したら美味しかった)
これがWebライターになると0.5円の世界にいたら1円は遥か向こうで「難しいんでしょ」と感じます。
ところがいざ1円の世界に踏み込むと「こんなものか」と内容も報酬にも驚かなくなります(ぼくはいまここ)
たぶん3円、5円となっても同じことが言えるのでしょう。
例えばライター活動をはじめて、最初はTwitterのライターアカウントを持っていなかった。
それを持つと凄いライターがたくさんいて落ち込んで、自分と同じ悩みを持つ人に励まし励まされ、自分のポジションがわかる。
Twitterでオンラインサロンを知り、そこでより熱量の高いライター仲間に出会い、背筋が伸びる。
そこでは定期的に講義が開かれ、ライティングやマインドセットを学ぶ。
ドンドン見ている世界が変っていきます。
もう0.5円のライターではありません。1円2円が当たり前になっています。
当たり前のことはできて当然で、
当たり前のことは有難みがなく、
当たり前にできると次に進みたくなる。
つまり目指すところがあるなら環境を変えるといい
教師になりたければ大学へ
芸術家になりたければパリへ。
環境が当たり前を作り、欲求を生む
分かっているのに、知らない世界に踏み込めない。
不安というたった一つの理由がとてつもなく大きい。
カレーに生卵をかける勇気がないのです。かけたら美味しいのに・・・
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