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愛の技術

昨年、『愛するということ』という本を読みました。

『愛するということ』(著)エーリッヒ・フロム(訳)鈴木晶(紀伊國屋書店)

社会で生きていく以上、私たちは他人との関わりを完全に断つことはできません。その関わりの中には「愛」と呼ばれるものもあるでしょう。それでは、「愛」とは何でか。私は人を愛し、愛されることができるのか。この本を読めば何かわかるかもしれない。いつかは読みたいと思っていた本を読むことができたので、書いていきたいと思います。

まず、愛とは技術なのです。『愛するということ』の原題は『The art of loving』となっています。「art」はよく「芸術」と訳されますが、「技術を極めた先にあるもの」といったニュアンスがあると理解しています。つまり、この本は「愛」という技術について書かれた本なのです。

ここで、一般的な技術(テクニック、スキル)と同様に考えてみます。普通、何かのスキルというのは目的があります。例えば、プログラミングのスキルはアプリやロボットを動かすためにあります。料理のスキルはおいしいご飯を手に入れるためにあります。では「愛」の目的は何でしょうか。

そもそも、人間の最も強い衝動は、孤立からの脱却だと述べています。ここから言えるのは、私たちが仕事に行き、同僚と雑談をし、友人と食事に行き、恋人と共に過ごすのは、すべて、「ひとりになりたくないから」だということです。だから行きたくもない会社に行き、みんなが見ているテレビやSNSを見て、人気のものを買うのです。この行動によって自分は一人きりではない、社会に交じり、だれかと気持ちを共有していると感じているのでしょう。

そして、究極的に、自分のことを理解してくれる人を求めます。本来、人間は一人ひとり別々で、絶対に他者を完全にわかることはできません。それでも自分を理解してもらいたい、あるいは自分と同じ気持ちの人も探し出し、勝手に共感することで孤独感を減じています。ここに「愛」が関係していると私は考えています。「愛」とは他者を理解しようとすることで、孤立から脱却することを目的とした技術なのです。

目的は同じであっても、それを達成する方法はさまざまです。その方法の違いが、母性愛、父性愛、兄弟愛、神への愛といろいろな形で表れているのでしょう。いずれも、孤独から抜け出し、他者と同一であるという認識を得たいがためのものなのです。

「愛」は技術であるから、最初から使いこなせる人はいません。そして、使いこなすには修練が必要なのです。いきなりですが、想像してみてください。重そうな荷物を持ちながら階段を登っているおばあさんがいたとします。これを見て、いったい何人の人がおばあさんを助けてあげるでしょか?だれかが助けてあげるだろうとか、迷惑がるかもしれないとかいろいろ理由をつけてみて見ぬふりをすることでしょう。

この本を読んで特に印象に残った言葉があります。愛することを恐れているのではなく、愛されないことを恐れている、というものです。正確なフレーズは忘れてしまいましたが、この言葉には衝撃を受けました。こちらからの歩み寄りがないのに、勝手に愛されることはないのです。

私たちは、孤独から脱却する究極の方法として、愛を求めています。しかし、こちらが愛を与え続けない限り、愛を受け取ることはないのです。

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