ototachibanahime

ソフトウェア技術者 | ライヴ写真撮影 | 猫 | 美少女 | 東京

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最近の記事

能面の少女

高校は3年間、軟式庭球部に所属しました。 中学の時も軟式庭球部だったのですが、それとは考えられない練習量に身体がごめんなさいと毎日悲鳴をあげます。 3年生と2年生の女子マネージャーは、さすが、もう大人の女性を感じさせます。あれ?私と同学年のマネージャーはいないようです。 ジャージと上履きの線の色は、入学した年から卒業まで同じ色となり、当時、3年生は紺色。2年生は緑色。私たち1年生は臙脂色。 2年生の先輩女子マネージャーです。細いんです。白いんです。それも軽く抱きしめただけ

    • 捻挫とチューリップの少女

      高校3年生の時、左隣りの席の友達がバンドで太鼓を叩いていました。夏休み前、その彼に誘われてそのバンドに加入しました。ギタリストが二人いたので、楽曲によっては鍵盤パートを片方が代わりにギターで弾いてたんですが、どうしても鍵盤じゃないとイメージが伝わらなくてダメな曲が……。 学校でバンド演奏してステージで楽曲を披露するには軽音楽同好会に所属しないと生徒会から許可がおりません。しょうがないのでバンドメンバー全員が自分たちのクラブ活動(吹奏楽部・排球部・軟式庭球部)と並行で同好会へ

      • 交換日記の少女

        高校3年生の時、友達に彼女ができました。 その彼女から 「あのさ……ちょっと!○○ちゃんと交換日記しなさいよ!」 「交換日記?なんで?」 「私たちもしてるから!」 「いや、部活とバンドあるから無理!」 「はぁ?いいから○○ちゃんとしなさい!」 「うぅ……じゃちょっと……」 「ちょっとじゃなくて!」 と、完全に私の気持ちなんて最初から無視なんですか。 さて、そうこうしているうちに、翌朝、机に教科書を入れようとすると、何か引っかかります。おや?ノートが入っています。 来た

        • 自転車の少女

          熟したホオヅキの実の色のような太陽が、ゆっくりと山脈へ沈んでいきます。春分の日が近くとはいえ、日が落ちるのはまだ早足のようです。一級河川の川べりから見る暮れる夕陽。 5月の連休が終わってPart 1 高校3年生。5月の連休に買った音楽カセットテープを貸したら、どんどん又貸しされて、気づいた時には、今、いったい誰のところにあるのかすら、まったくもってわからない。 そこへ、2年生の時に一緒のクラスだった女子が 「ねぇ!次は私ね!」 と、声をかけてきました。 彼女との出会い

          おばさんになった少女

          高校の受験に失敗した私。 たまたま、違う高校の合格結果で定員を割ったらしく、2名枠の二次募集で40人近くが応募。結局、8人が合格。幸運にもその中のひとりとなった私。 普通科の1年生として志望高校を落ちた私は、居心地の悪い人生初めての挫折感を日々味わいながらも少しずつ高校生活に慣れていきます。 編入されたクラスは、視力の低い生徒は最前列の席を希望することができます。 その中に、授業中しょっちゅう鼻をかむ女子。この女子、気になります。おいおい、授業中といえども鼻なんかかむなよ

          おばさんになった少女

          放送の少女

          小学校生活も残り2年。 5年生になった私が選んだ委員会は、放送委員。 委員会は4年生から必須なのです。任期は1年間。 4年生では、体育委員でスケートリンク作り。6年生では、図書委員を経験しました。 では、放送委員の仕事とは何か? 放送委員は、定例として、毎週月曜日に、全校児童の全体朝礼で集合をかけるアナウンスと音楽をかけること。遅刻する訳にはまいりません。 音楽が終わるまでの間に、児童は円形校舎の3階講堂に集まります。『世界の国からこんにちは』がテーマ音楽です。放送委員

          放送の少女

          図鑑と少女

          私が小学4年生に進級してすぐの放課後。 ひとりで家へ帰る道、いつもの道草、雪解け水が心地好く流れる小さな農業用水路。今日はメダカでも探そうかと、湿った枯れ草の上に腹ばい、ひじとひざに冷たさを感じ始めた頃 「何してるの?」 と、上から突然、少女の声。 「わっ!びっくりしたぁ!」 仰向けに転回する私。 「ん?お兄ちゃん何してる?」 さらに、もうひとりの少女が。 「メダカいないかなって……見てた……」 「メダカ?ふ~ん……それいるの?いい?一緒?」 「うん、いいよ……」

          声のない少女

          『○○市立○○僻地保育所』 しっかり「僻地」と看板が出ている保育園で私は一年を過ごしました。県道に面したその看板のすぐ脇にある、子供が二人並んでやっと通れるぐらいの細い急な坂道を毎日通うのでした。 ずっと家猫状態で、人見知りの私が集団生活なぞに馴染めるはずもなく、一日一日を絶望と憂鬱さで満たされることしかなかったのです。ところで、近所には私を含めて5人の男の子が偶然にも同じ年長クラスにいたのです。そのクラスは紫組、年中クラスは青組、年少クラスは赤組と、赤と青、混ぜたら紫?子

          声のない少女