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海に行き 海を盗む

何かと海に縁がある。それは魚座だからか、などと思いつつ過去に思考を巡らせる。

幼少期、どこかに行く時は必ず「水族館に行きたい」と言った。今となっては違うが、小学校の卒業文集には「水族館の飼育員になりたい」と熱烈に語った。小学校六年生までは、約七年間スイミングスクールに通った。嫌と言ったことは ほぼ無く、辞めた後も泳ぎに行くほどだ。

私の美的センスは海に似ている。何かと自分の趣味である絵やハンドメイドは海からインスピレーションを受けるものが多い。何処となく波や水中、深海を思わせる色や形になる。身の回りの物は、ランドセルの水色にはじまり、青を基調としたもので溢れている。小さい時に一番大好きだった『人魚姫』のせいかもしれない。

好きな人間やキャラクターにも表れる。役者は海や川を舞台とした写真が多く、絵描きは一人で行った海の写真をよく載せる。キャラクターも、直接海に関わりのある者や逸話を持つ者が大半である。この前、購入したランダムの可動式ドールでやって来たのは、「シーソルト・シシ」という名の水色の子だ。

自分の死後について考えた時に、必ずといって良いくらいに辿り着くのは、海洋散骨であった。


そんなこんなで、海との繋がりは底知れぬものとなっていたのだ。

ただ一つ悔しいのは、私の中の海は虚像であるということだ。今まで両手に収まる程しか海には行ったことがなく、記憶も曖昧で(一番最近行ったのは修学旅行か)、日常生活に全く関わりがない。『コォスト』でも書いたが、おかげで内田百閒の『花火』がいまだに読めない。憧れは募るばかり。


仮に海に行けたとする。具体的に何がやりたいか記しておこう。

行くのは冬である。人が多いところは情趣がないし、海は独り占めしたい。真夜中が望ましい。別に人がいなければいつだって良いが。一時間ほど海を眺めていたい。海の中に足を突っ込むだけで(とはいっても、私としてはこれ以上ない贅沢だが)、足の裏に波を感じたい。

貝殻が欲しい。一度、砕いて顔料を作ってみたいのだ。そして、あらかじめ持って来ておいた小瓶に、海水を閉じ込めて持ち帰りたい。記憶は曖昧だが、私は鼻が利く。少しだけ苦くて、海の植物が発酵したような、錆びそうな匂いは覚えている。あの、海でなければ嗅ぐことのできない匂いが好きなのだ。いつでも海を思い出したい。

今はただ、海から蒸発してやってきた雨からでしか海を感じられない。ゆくゆくは海を盗んで来たいと思う。

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