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「お父さんバンク」 生まれるまでのストーリー①

お父さんバンクが生まれるには、たくさんの小さなストーリーが必要だった。

そんなふうに感じる今日この頃。

今日は発起人・ヨシヒロチアキの昔話に少しだけお付き合いください。

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父の中学の同級生に、Oさんという男性がいる。

Oさんは結婚をしていない。
ご自身のお子さんはいないけど、子どもがとても好きなひと。

物心つく頃にはもう、Oさんの存在が当たり前のようにあった。

年に何度か、可愛いケーキを山ほどもって家に遊びに来てくれる、優しいおじさん。

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中学生になる頃には、不思議な感覚が生まれていた。

「もうひとりのお父さんみたい」

進路のこと。親との関係のこと。学校のことーー
何かと悩みの尽きないお年頃。

私の父は仕事でいつも忙しかったので、当時のわたしには、何かあっても「父に相談する」という選択肢がなかった。

かわりに、時々遊びに来てくれるOさんには、思うことを包み隠さず話すことができた。

時は過ぎて、23歳のとき。
私は結婚をする。

結婚式のスピーチ。
恩師とか、上司とか。そんな立場の方にスピーチをお願いする場面で、私は自然とOさんにお願いをしていた。

わたし達一家を、長年見守ってきてくれたからこそ生まれる、やさしいスピーチだった。

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さらに時は過ぎて、28歳の時。
私はシングルマザーになる。

たくさんのことが変わっていく中で、年に数回、変わらずOさんが遊びに来てくれた。

ひとりで子育てしてへとへとになっている私に
「家でゆっくり休んでなよ」
とだけ伝えて、小さな子ども二人と手をつないで水族館に遊びに行くOさん。

数時間後、弾けんばかりの笑顔で、イルカのぬいぐるみを抱えて帰宅する子どもたち。

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ある日、Oさんがわたしに話してくれたことがとても印象に残っている。


「僕は子どもが大好きでね。
子どもたちが遊んでいるところを見るだけでも、とても幸せな気持ちになるんだよ。

だから時々、公園に出かけて、ベンチに座って、知らない子どもたちが遊んでる様子を眺めたりする。

でもあんまり見過ぎると、怪しい人だって通報されちゃうから(笑)

本を読みながら、あんまり見すぎないように気をつけてるんだ。」


これを聞いた時。
わたしは、なんて悲しい話だろうとおもった。
なんて悲しい社会になっちまったんだろうと。

子どもが大好きで、ただ見守っているだけでも幸せになるやさしいひとがいて。

かたや、お母さん達のほうは、家事に育児に、下手したら仕事まで一人で抱えている。そんな状況の人たちがたくさんいて。
多分、信頼できる大人に「数時間でもいいから、ただ、こども達を見守ってもらう」このことだけでも、どんなにか助かることだろう。

だけど、「狭い核」の中に家族でもなんでも収められてしまいがちな今の社会では、この両者がつながることが、もどかしいほどに難しい。

もう、同じ公園に、目の前で、一緒にいるっていうのに。

この人たちが、つながれたら。どんなにかいいだろう。
どんなにか、それこそ公園にいる全員が瞬時に、安らぎ喜びを感じることができるだろう。

もどかしい想いは、その後わたしの中で、燻り続けることになる。


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その数年後。約一年前、夏のある日。


わたしは、飛騨高山の人気のない山奥をひとりで歩いてた。

そのとき、何かの拍子に一つのインスピレーションが降りてきて、鳥肌が止まらなくなる。

「お父さんバンク」

好きなこと、得意なことをもつ人と、
それを必要としている人たちが、喜びの中でつながる仕組み。

あの日公園で分け隔てられていた人たちが、一緒に笑いあえる世界観。


当時、喫茶店やイベントのプロデューサーをしてくれていた来世ヒデアキ氏に、その場で、ワクワクが堪えられない震える手でLINEを送る。

「なんか、面白いそうなこと、思いついちゃったんだけど…!」



さあ、新たなストーリーの、はじまり、はじまり。


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