様々な別れ

 お久しぶりです。
 ここまで間が空くとは思ってもいませんでした。
 まぁリアルで色々ありまして、「乙楽」としての時間が作れなかったのが原因です。大きくは2つの別れがありました。

 6月14日、義父が亡くなりました。享年80歳。食道がんの末期及びアルツハイマー型認知症でした。日に日に衰弱していく義父を見舞うたび、人の儚さとやりきれなさを感じていました。
 奇しくも、亡くなった日は義母の四十九日でした。もしかしたら、義母が寂しがって義父を呼んだのかもしれない、そんなことを妻とも話しています。
 四十九日は、亡くなった人が現世から彼岸に旅立つ日。義母はずっと義父に呼びかけていたとすれば、ラスト1日で満願成就、といったところでしょうか。
 まぁ、我々遺族からしたらたまったものではありませんがね。特に、立て続けに肉親を失った妻からすれば、恨み言の一つや二つあってしかるべきでしょう。(実際は、それどころじゃありません)
 そんなこんなで、乙楽の家族は連日ドタバタだったわけです。さすがに今は疲労のピークでフラフラです。

 もう一つの別れ、それは私を「父」と呼んだ若者とのものです。
 彼は明朗快活でバイタリティ溢れるナイスガイ。お調子者なのが玉に瑕ですが、好きなものを「好き」と声を大にして言える人です。
 そんな彼が、何故私のようなひねくれ者を父と呼んで慕ってくれたのかは謎ですが、度重なるアピールに屈した形で、私は彼を息子として扱い、X上で楽しいやりとりをさせてもらいました。
 そんな彼と何故別れることになったか、それはネットの闇から自分を開放するため、アカウントを閉じることになったからです。この話は長くなるので詳細は省きますが、少なくともX上での擬似親子のやりとりは終わりを告げました。

 どちらの別れも、私にとっては理不尽です。
 悲しいし、やりきれないし、何か自分にできることがあっただろうか、と今でも自問しています。
 しかし、時は残酷です。そういった諸々をあっさりと過去のものにし、振り返ることしか許してくれないのです。
 いつかは別れの傷も思い出となり、美化されていくでしょう。今は、傷口を押さえながらこぼれ落ちたものを眺め、痛みを堪えることしかできません。

 基本的に世の中は欲しいものは与えられず、いらないものばかり押しつけてきます。
 だからこそ、楽しいと思える時間や美しいものに惹かれた瞬間のドキドキ、他者と喜びを共有できる幸せは尊いと言えます。

 さよならだけが人生さ、とうそぶくならば、その言葉を口に出す直前までは、大事な人との楽しい時間を存分に楽しみましょう。

 まぁ、こうして偉そうに言った当の私は、しばらくは別れの痛みをしっかりと受け止め、ちゃんと心から笑えるまで、しばしの時間をいただきます。
 ズルいとか言わないでね。年取るとメンタル立て直すのに時間がかかるんだってば。

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