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私が人をなかなか信用しない理由

こんにちは^^
人生はエンターテイメント♡ののさん🐨です^^

 さて、今日はちょっと私のことを話してみようかな、と思うのです。というのも私の生い立ちってちょっとびっくりされることが多くて。聞かれなければ話さないのですが、他の人はあまり経験していないことをどうやらしているようなので、ちょっとこちらで話してみようかな、と思います。

いつも私って怪しんでいる?!

 なんでこんな生い立ちの話になったかというと、「ののちゃんっていつも人を怪しんでるよね・・・笑」って言われたことがあって。確かに私って、最初人をめちゃくちゃ疑うんです。というのは、人は悪いことをする時があるというのを知っているからです。
 あえて「する時がある」という表現にするのは、なんていうか、その人が悪いことをする理由とか背景があるかもしれないなってことに配慮してみた結果なのだけど、私や私の家族は、一般にいう「被害者」ってやつになったことがあるんです。残念ながら。
 あまり深刻には言いたくないし、詳しく書きすぎると身バレしてしまうのでサラッとライトにライティングしたいのですが、拐われそうになったり、盗まれてしまったりということを、私や家族は経験したのです。

怖い世界があることを知った日

 小学校低学年の時、田舎育ちの私の登下校ルートの治安が悪くなった時がありました。雪国だし街灯も少ない歩行者天国があったのですが、そこで下半身を見せてくる人が出たり、コートの中が下着・・・という目撃情報が毎日のようにあって、私も何度も遭遇しました。(でもいつも友達も一緒だったため、そこまで怖くはなかったのです。)
 でもある日、一人で帰宅していた通学路を少し外れたところで、男の人に話しかけられて、地図を見て欲しいと声をかけられました。そしてそのまま車に乗せられそうになったところ、友達のお父さんが助けてくれた、ということがあったのです。
 なんか変な人がいる! と、子供ながらに怖かったものの、未遂で終わったので何が起きたかを実感するまでに当時の私の想像力は成長していなかったのですが、後に担任の先生に、「あれは誘拐犯だったんだよ」と伝えられて、怖い世界は存在すると思った経験の一つになりました。

被害は突然に・・・

 少し話は逸れるのですが、地元では誰のうちが何のお仕事をしているのかというのは誰もが知っていて、田舎ならではのご近所さんの情報文化に子供ながら嫌気がさしていました。
 よく会話の中に、「あのお店はK君のお父さんのお店だよ」とか、「Mちゃんの家はあの有名な〇〇だよ」とか、そういうのが普通にあって、例に漏れず私も「あの宝石店のお孫さん」って、友達のお母さんにも担任の先生にもよく言われて育ったのです。それに加えて母にも、「あのお店のののちゃん」って思われているから、ちゃんとしなさいって育てられていました。

 そんな地元ではちょっとばかし名の知れていた、祖父の経営する宝石店に強盗が入ったのは、私がそんな「狭い世界」を出たいと思って上京して一人暮らしをしていた頃でした。
 その当時、私の祖父の宝石店の地域を含め、連続強盗事件が多発していたようで、その一つとして狙われてしまったわけなのです。

 当時私はそこにいなかったものの、すでに大人になりかけていた私は流石に被害総額を聞いて「終わった」と思いました。「セコムしてますか?」も「そのスピードがアルソック」もスルーしちゃっていた祖父は、保険というものに加入しておらず、被害総額そのものが一瞬で借金へと変わったのです。だけど、私はそこから、自分の人生観がものすごく変わることとなるのです。

ベンツが軽自動車になった日

 小学生の時、祖父の車はメルセデスなベンツでした。しかもシートは本革。そして他にも車があり、自慢の車で何度もドライブに連れていってくれました。
 それが強盗が入った後、久しぶりに帰省して空港に迎えに来てくれた祖父の車は軽自動車になっていました。でも、私はなぜかそれが嬉しかったのです。
 もちろん罪を犯した人に怒りの気持ちはあったし、プライドがあり自信を無くした祖父、そして会えば必ず痩せたいと言っていた母が、皮肉にも念願叶って痩せてしまっていた時には、後悔とか無力さとかに襲われることも。それでも私は、不思議と未来の心配をしてなかったのです。

 あの時私は、やっと「普通」のスタートラインに立てたような気持ちになっていたのかもしれません。上京してもなお、というか上京したからこそ、私は結構裕福な家に生まれ育っていたのだと実感していました。でも、一人で暮らしてみて、その時の約束で「自分で生活費を稼ぐ」ということをしてみたり、自分のことを自分で人並みにやってみて分かったことは、幸せは自分で決められるってことでした。
 私の中では「誰かと一緒に何かを共有できること」が幸せの最優先条件であり、「お金」とか「ブランド」とかそういうものがランクインしていなかったのです。フレンチのフルコースよりも、祖父が用意したスーパーの焼き鳥を屋上で食べる方が何倍も楽しかったし美味しかったから。
 そして今思えば、被害者になった祖父や祖母、母をちゃんと大切にしてくれる大人が誰で、離れていった人がどんな人なのかを、子供ながらに観察していく中で、なんか人間の本質というか、どんな人とこれから時間を重ねていきたいのかのベースを築けた第一歩になったのです。

 強盗犯が捕まったという連絡が来たときには、広かったお家もお店も小さくなっていたけれど、その分家族との心の距離も縮まった気がしたのは確かで。一見、不幸な出来事ではあるし、そのおかげで私には「警戒心」というものが芽生えたのは確かだけれども、私なりの「しあわせのものさし」を持つことができたし、そこからこの家族でいたことを誇れるようになったんです。

私の中で生きる祖父と祖母が教えてくれたこと

 もう大好きなおじいちゃんもおばあちゃんもいないけれど、私は二人の孫でよかったなって、これからもずっと思っている。それ故に怖い思いをしたり僻まれたりもしたけれど、あの屋上で食べた焼き鳥の味も雪道を送ってくれた軽自動車での思い出も、そして何が起きても「父さんは大丈夫」って笑顔だったおばあちゃんのことも、一生忘れずに生きていくんだろう。

 生い立ちや環境がその人を作るというけれど、波乱万丈でも幸せになれることを教えてくれた家族。そして、「時に人は人を傷つけるけ悲しませるけれど、人を励まし勇気づけ、温めてくれるのも人なのだ」と教えてくれたのも、こんな環境だったからこそ。
 人を疑いがちな私だけど、結局人が好きで、親近感を持ってすぐ共感してしまう私になれたのはこんな歴史があるからこそ。東野圭吾の作品みたいに、何が正義で何が正しいのかが危うい世界の中の美意識みたいなものに惹かれてしまうのも、こんな私だからなのかもしれない。
 不要に傷つかないように予防線を張り人を疑いながらも、そんな人の優しさとか愛しさを本当は誰よりも信じていたい私がいるよ。ということで私は今日も、好きな人のことを好きだと伝えながら、好きなことをして生きていくよ。

私の大好きな人たちが今日も笑顔で過ごせますように^^

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