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8月11日、時代の波に乗り、時代に翻弄されて、辿り着いた音楽が見せるパノラマに感慨...

ポール・マンの指揮、リエパーヤ響の演奏による、1920年代のベルリンにてキャバレー・ソングの作曲家として人気を博したスポリアンスキーの、ベルリンを去ってからの管弦楽作品...
TOCCATA CLASSICS, TOCC626

ミシャ・スポリアンスキー(1898-1985)。
ロシア帝国のユダヤ人定住地域にあった街、ビャウィストク(現ポーランド)にて、ユダヤ系の音楽家一家に生まれたスポリアンスキー。ドレスデンで音楽を学び、第1次大戦後、ヴァイマル文化が花開いたベルリンで活躍。が、1933年、ナチスの政権掌握により仕事を失い、ロンドンへ... 以後、映画音楽の世界で仕事をした。

さて、ここで取り上げられるのは、スポリアンスキーがロンドンに逃れてから、第2次大戦後の作品... ミュージカル『愛を学ぶ方法』(ミュンヒェンで上演されたドイツ語ミュージカル... )の序曲「わが夫と私」(1967)に、ジャズ・オーケストラのための「ブギー」(1958)、そして、第2次大戦中から四半世紀強を掛けて作曲された、5楽章の交響曲(1941-69)。

キャバレー・ソングで知るスポリアンスキーとは違う、興味深いその後の音楽... 英国流の瑞々しさに彩られつつ、映画音楽からの経験を活かしての地に足の着いた音楽を展開。特に、5楽章の交響曲の、イギリスの交響曲を思わせる瑞々しさと、リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲を思わせる描写性が感じられ、そこに籠められる作曲家の人生と同胞たちへの哀悼... まるで一本の映画を見るかのよう。感慨深い...

というスポリアンスキーを掘り起こす、イギリスの指揮者、マンと、ラトヴィアのオーケストラ、リエパーヤ響。B級マイナー担当みたいなところもあるかもしれない... が、それでも真摯に作品と向き合い、20世紀の悲喜交々を慈しむように響かせる彼らの演奏には、聴く者に静かに訴えかけてくる力がある。

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