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11月17日、リュリ、死の前年のオペラ『アシスとガラテー』の集大成感と"もののあはれ"?に魅了される。

クリストフ・ルセ率いる、レ・タラン・リリクの演奏、ナミュール室内合唱団、アンブロワジーヌ・ブレ(メッゾ・ソプラノ)、シリル・オヴィティ(テノール)らの歌で、リュリのオペラ『アシスとガラテー』。

1685年、太陽王のお小姓に手を付けるというスキャンダルを起こし(ま、それは切っ掛けに過ぎず、積もりに積もったものが爆発したのだろうけど... )、フランス楽壇を我が物としてきた、おべっかクソ野郎、リュリ(1632-87)の命運もとうとう尽きる。リュリのオペラはヴェルサイユで上演されなくなり... やがて、パリ、オペラ座からも追い出され... という転落の最中、1686年に作曲された英雄牧歌劇『アシスとガラテー』。

王族、ヴァンドーム公の委嘱(太陽王の不興を買っても、宮廷の外での仕事はきた、巨匠、リュリ!)により、公自慢の城、アネ城での王太子を迎えての狩りの出し物として上演された『アシスとガラテー』。狩りの出し物だけに、トラジェディ・リリク=抒情悲劇とは違い、英雄牧歌劇=パストラル・エロイークということでライト... なのだけれど、それまで培ってきたもの全てが盛り込まれるようで、集大成の聴き応えあり!

いや、何か、世を去ることがわかっているような(『アシスとガラテー』の上演の翌年に不慮の事故が原因で亡くなる... )、達観すら感じられる音楽... それは、太陽王の寵愛を失っての境地だろうか?イケイケの頃のリュリとはひと味違う、悲哀のようなものが滲み、かえって、深みも生まれる?ライトなパストラルにして、それだけに終わらないものあるなと... で、ライトなパストラルだからこそ表現できる儚さ?そこに"もののあはれ"的な感覚も見出せるのか... いや、思いの外、惹き込まれた。

という、リュリの『アシスとガラテー』を聴かせてくれた、ルセ+レ・タラン・リリク。最も得意とするだろうレパートリーだけに、揺ぎ無く、見事!歌手陣も、合唱もすばらしく、細部まで丁寧に響かせつつ、ルセならではの息衝く音楽が繰り出さる。で、息衝きながらも、リュリ、最晩年の情感も引き出され... ルセ+レ・タラン・リリクのこれまでの蓄積が、リュリの蓄積を慈しむように捉え、紐解いて、リュリの深いところに迫るのか... そんな音楽に、揺さぶられた。

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