夏の記憶がつながる場所

気づけばもう9月。暑さが苦手で、早く涼しくならないかなと思うくせに、夏の終わりはいつも感傷的。
この頃は、日の入りが確実に早まっているのを感じてはっとする。夏の背中がもう、ずいぶん向こう側にあると感じる瞬間。

夏は思い出とつながりやすい。春夏秋冬、それぞれに思い出はいろいろあるのだけれど、たとえば卒業や入学、クリスマスやお正月といった大きなイベントの記憶というより、もっとささやかで、ふとよみがえっては懐かしく感じる日常に寄り添った記憶が、夏にはたくさんつまっている。

小学生のころ、祖父母の家で無理やりお昼寝をさせられたこと、目覚めたときのぼんやりとかすんだ部屋の色と、しだいに世界が戻ってくる感じ、高校野球中継の音、カルピスの味やいれてくれた人のこと、いとことアイスクリームを買いに行った小さな商店、おじいちゃんやおばあちゃんとの会話、初めて覚えた盆踊り、今はもう顔も忘れてしまった帰省中限定の友達。

大人になってからも、夏の記憶は少しせつなく、懐かしいものとつながっている。通勤途中に電車の窓から見えたグラウンドでは、今も野球を楽しむ人たちがいるだろうか。帰りの時間を気にしながらあの人と向き合った、あの町の喫茶店はまだあるだろうか。苦手な運転で通ったあの道の記憶はまだつらいのに、同時に大切な時間だったとも思う。

お盆や帰省といった、いろんなものが「戻る」「帰る」ことの多い季節だからなのか、なんでもない記憶が突然よみがえって、うれしくなったりやるせなくなったり。

そんな季節ももうおしまい。最後の蝉の声が、ゆく夏を惜しむ。朝晩は少しずつ過ごしやすくなっている。長袖の服が気になり始めた。

またしても台風が近づいている。夏と秋のはざまで、もう人々を惑わせませんように。振り返るたびつらくなる、そんな記憶を残しませんように。

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