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『今夜すきやきだよ』がどう考えてもアロマンティックじゃない件 ―『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』を読んで―

 わかりやすくするために極端な表現を用いますが、「セックス大好きなアセクシュアルの人」というのはアセクシュアルの正しい定義の範囲内だそうでして、『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』にしてもそのことには触れてあります。

 しかし、『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』の解説というのは、パートナーとの性のあり方あたりが中心となっていて、やはり、まあ、いろいろと根底の前提が難しいんじゃないかなあと思いました。

 この「AVEN」というのは、アセクシュアルを普及させた中心的ネットコミュニティになるみたいなのですが、どうも黎明期の2000年代から定義論争でケンカしまくっていたらしく、過去には「アセクシュアルは性欲のない人だけのもの」派が専用コミュニティを作っていたりしたことが記述されています。

 ネットコミュニティでアセクシュアルが広がりを見せるより前の20世紀ですと、ごく一部の研究者による「性欲がない人・性欲があってもわずかにしかない人」の調査結果が見られる程度だったようです。ですので、この先の将来がどうなっているかはわかりませんが、少なくとも今現時点において「アセクシュアル=性欲のない人(性欲がある人は一切含めない)」と理解している人の多さに合理性がないというわけではありません。


 さて。『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』の話に戻ります。

 この本は恋愛規範の話にしても、明らかに米国文化が前提になっていて、これでは日本人による解説の意味が希薄であるように感じます。例えば、近年の例ですと、日本はアイドルを追いかける「推し活」が大きなムーブメントとなっておりますが、これにしても恋愛とは真逆の概念であり(まあ、一方的な恋愛にしてしまう人も少なからずおりますけど。)、『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』が前提としているような恋愛至上主義が日本社会に強くあるとは言い難い社会要素のひとつです。

 話はそれますが、「10代後半の女性は、約2人に1人が推し活をしている」ですかあ。ちょっと検索したら物凄い数字が出てきてビビりました。


三宅大二郎 今徳はる香 神林麻衣 中村健 著
いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと
2024年4月23日初版第1刷 73ページ

 それと、こういった系統の本には少なからず妙にズレている記述がよくあったりするわけなのですが、『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』で当事者が就活で困ったケースとして挙げられているこの話は、セクシュアリティの問題以前のただの性差別発言です。


 そして、『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』には「Aro/Aceのリソース」としてテレビドラマの『今夜すきやきだよ』がアロマンティックを扱った作品として紹介されています。

 確かにこのドラマはアロマンティックという言葉がセリフとして出てきており、『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』以外の論文などでもそのことが紹介されているようです。

 しかし、原作にはそういったセクシャリティ関連のセリフは存在せず、テレビドラマにて改変追加されたものです。原作第5話の内容でアロマンティックと決めつけるにはかなり微妙なラインで、特に本人がセクシャリティとしての疎外感まで持っている描写がありません。もちろん「これは広い意味でのアロマンティックだ」みたいな見解も出てくるのかもしれませんが、意味を広げた上で「これはアロマンティックが出てくる作品です、手に取ってみましょう」と紹介するのもいかがなものでしょうか。

 原作では複数回出てきて、著者自身もSNSで強調している、ともこの「魔法使い」というクリエイター気質の自己認識を、ドラマ版がろくにフォーカスしなかったのは、ともこという登場人物をアロマンティックキャラクターとするには「恋愛より自己実現」はジャマだったのだと思われます。些細な描写ならともかく、主人公に対して繰り返し強調される原作の要素がジャマだなんて、一体どうしてドラマ化したのでしょうか、よくわかりません。

 何よりの問題がここです。『今夜すきやきだよ』ドラマ版のともこが自身のことをアロマンティックと説明する点については、おそらく原作第4話部分からの改変になると思うのですが、この回は「男女の友情なんてありえない!」と主張する非アロマンティックのあいこが、自分自身を浅はかだったと反省する話なのです。

あいこ「さっき確かに決めつけてた」
ともこ「男女の友情が理解できないって言われてシンタとの信頼関係を否定されたように感じたよ」
あいこ「そうだよね…ごめん」
あいこ「シャワー浴びながら私は男友達いないって気づいた」
あいこ「私は男の人を恋愛対象か仕事相手としか見てなかったのかも」
ともこ「そうなの!?」
あいこ「比べて ともこは性じゃなくて人として相手を見れててすごいなって…」
ともこ「落ち着いて!! 私すごくないよ!」
あいこ「今日友達に私達の生活が変て言われて腹たったのに」
あいこ「八つ当たりみたいに同じようなこと ともこに言ってた」

谷口菜津子『今夜すきやきだよ』第4話 肉まんと男女の友情 より

 こういった話だというのに、「ともこはアロマンティックだから男性と恋愛感情抜きに仲良くしてるんだよ」という流れにしてしまうと、原作第4話のあいこの反省の弁は実に空虚なものとなり、ドラマのアロマンティック設定は原作に対するリスペクトがまったく無い証拠とでも呼ぶべき改変だったりするのです。ドラマ製作班は「仲の良い異性の友達がいて、同年代女性よりも恋愛に魅力を感じない=アロマンティック」という安易な結びつけをまずいとは思わなかったのでしょうか。

 もちろん、原作者は納得して通している改変なのでしょうが、男女の垣根を考えようとする原作のジェンダー的な描写がこうも無碍にされているのは、非常に残念なところであります。ましてや「Aro/Ace作品図鑑」に機械的に収録されるのはいかがなものかと私は思ってしまうわけであります。

 何故、『今夜すきやきだよ』は機械的に「Aro/Ace作品図鑑」に収録されるのかと述べれば、それは当事者が非当事者からの理解不足に悩んでいるように、当事者自身もまた非当事者への興味がないからなのです。だから、「原作には言及がないけどドラマで言ってるからアロマンティック作品」という、過度にシンプルな処理が行われるのです。『今夜すきやきだよ』原作第4話は意図が極めて明確ですが、興味のない作品の描写なんてそんなのどーでもいいのでしょう。

 『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』における恋愛至上主義の前提が日本にそのまま当てはまるかどうか怪しくて、単に欧米の議論を丸写ししているようにしか見えなくなっているのも同様なのです。アロマンティックやアセクシュアルについてよく知らない非当事者に、それを知ってもらおうとすること自体は悪くないのですが、伝えようとする側の当事者はその相手方に興味がないので、前提となる論理にしても質が著しく落ちるのです。女性が女性アイドルの「推し」をやっていても即座に同性愛者と思われるわけではないところからマジョリティ側のムードを考えてみたことはあるのでしょうか。

 そもそも『今夜すきやきだよ』がアロマンティックに映るというのであれば、『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』の漫画版シーズン2もアロマンティック女子の集まりと判断されてしまうでしょう。しかし、これをアロマンティックと呼ぶ人を私は見たことがありません。何なら原作著者は作中で将来メンバーの誰かが結婚して抜けるかもしれないみたいなことだって書いています。本当に「恋愛至上主義」にハマっているのはどちらのほうなのだろうかと、私は思わず疑ってしまいます。


あいこがともこの家事能力を搾取しているという感想をSNSで見かけたんですよね。自分としては、そうならないように家賃の支払いはあいこが多め、ともこが家事をしてくれることへの感謝を示すなど、二人を対等に描いたつもりだったんですけど、そういう反応があるということは何か拾いきれていないものがあったのかなと思いました。

「今夜すきやきだよ」「今夜すきやきじゃないけど」谷口菜津子さんインタビュー 普通の結婚、本当の幸せって何?|好書好日

 アロマンティックの話は一旦さておき。『今夜すきやきだよ』のドラマ版はとにかく脚本の質が低すぎです。原作者は上記のように2人の関係性が不均衡になってしまったのを反省しておりますが、ドラマ版はこの点がむしろ悪化しており、見るに耐えませんでした。だいたいなんですか、家賃18万円設定って。

 コミック版『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』の第2巻、2024/6/24に発売だったんですね…。編集してたら知りました。確か、漫画版のシーズン2以降は原作本よりも後の出来事だそうです。

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