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vol.35 言葉に魂をのせて

今回は「魂は置いてきた」って話です。
置いてきた。っていうよりも「魂は別のところにある」って表現のほうが近いかもしれません。

目に見えるモノがカラダで、目に見えないけど存在を感じるモノが魂って話をしました。これは神秘的でも宗教の話でもなくて、日常生活において何気なく感じる話です。

私が一番、感じるのは親族です。
親族は親族でも、あの世にいる親族です。

あの世にいるので、実際に会うのは不可能ですが、存在はいつでも感じます。

霊感が強いとか弱いとか関係なく、身近に存在します。

特に人生に行き詰まったときとか、自分一人では解決できない問題に直面したときなど、より存在を感じます。

祖父だったらどうする?
祖母だったら、どう感じる?

直接的にアドバイスやヒントをくれるわけではないですが、私の中で生き続けている人たちが私にエネルギーやモチベーションを与えてくれます。

あとは幼少期や未成年のときに見たモノ、聞いた言葉などは、私の中に生き続けています。

親とか、先生、先輩など、あのときの大人の言葉はとてもインパクトが強く、今の自分を構成したパーツになっているのだと思います。

言葉=言霊(ことだま)

って昔から言われているくらい、言葉には魂を乗せることができるのでしょう。

ということは言葉にはすごくエネルギーやパワーがあります。言葉は単なる音ですが、その背景や経緯によって音に魂が乗り、人や社会に影響を与えることができます。

この言葉を単なる音にするか、
この言葉に魂を乗せて、想いを届けるか。

あのとき、カズが言った、
「魂は置いてきた」

これは間違いなく言葉に魂が乗って、あの場所にいた全員に想いを繋いだのでしょう。

私たちはカズでもないし、社会に影響を与えるような人間ではないかもしれません。

でも、私たちに魂が存在するのは事実です。
人間はカラダと魂で出来ています。

死んだら魂はどこに行くかはわかりません。
輪廻転生するのか、他の生物に変わるのか。
それは神のみぞ知る世界かもしれません。

でも生きている間、魂は必ず私たちの中で生き続けています。

魂を伝えたり、繋いだりする唯一の方法は「言葉と文字」です。現代風に例えると…コミュケーションです。

会話とメッセージを使ったコミュケーションです。

目に見えないモノは、存在を確認することはできません。目に見えないモノに言葉や文字を刻むことで、魂が吹き込まれて、初めて存在を確認することができます。

存在を確認できれば、目に見えないモノでも勇気や安心感を与えることができます。

私たちは仕事や家庭によって、すでにカラダは奪われた状態です。仕事や家庭で得れる幸せや充実感はたくさんあるので、カラダを預ける価値はあるでしょう。

でも、それで得れる幸せや充実感では満足できないから、悩み苦しみ、葛藤の日々を過ごすのでしょう。

そこから自分自身を解放する手段は、たくさんあると思います。趣味や芸術や恋愛やら。

趣味や芸術は、1人でできるものがたくさんあります。そこに情熱を燃やせば燃やすほど、より強い解放を感じることができます。

恋愛は1人ではできません。
※○○推しは趣味とする

どれだけ情熱を燃やしても、相手も同じように情熱を燃やさないと、より強い解放を感じることができません。

情熱的に恋愛する手段は一つです。
コミュケーションです。

コミュケーション無しに、情熱的な恋愛を継続させることは不可能です。

コミュケーションとは会話とメッセージです。
会話とメッセージに魂を乗せて、想いを伝え合う。

何度も何度も、それを繰り返すことで互いに魂の存在を確認することができるでしょう。

長くなりそうなので、一旦、ブレイクします。

vol.36へ続く。

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