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シカゴに住んだ2年間を振り返る【英語勉強編】

こんにちは。

そういえば英語学習などはたくさん書いてる一方でシカゴに住んでた時のことを一度もブログ記事にしていなかったと気づきました。

2016年の春に結婚を機に夫の実家があるシカゴに移り、そこで2年間住みました。
本気で英語を勉強するようになったり、今のキャリアが始まったりと私の人生において大事な分岐点になった2年間です。

2016年の8月〜2018年4月まで地元のコミカレに通う

2016年の7月に入籍しました。アメリカに渡ってすぐはグリーンカードを申請中ということもあり、就労ができませんでした。
そこで英語力をつけるため実家の近くにあったコミュニティカレッジ(2年制で日本でいうところの短大に当たる)のESLに入ることを決めました。

シカゴに住んでいる間は夫の家族の実家でベースメントアパート(地下
)に住まわせてもらっていました。

シカゴのコミュニティカレッジとESLの制度

City Colleges of Chicago(通称CCC)はシカゴ市内に7つのキャンパスがあります。

ESLとはEnglish as a second languageの頭文字で受講している生徒は皆英語以外の言語が母国語です。そしてシカゴ市内に住居している18歳以上の成人が対象で、(私の通っていたカレッジでは)留学生は対象外でした。
ちなみにESL以外にもアメリカの市民権を取る人のための試験対策クラスなども開講されていました。

レベル別にクラスが6つか7つに分けられており、授業が始まる2週間ほど前にプレースメントテストと呼ばれるレベル分けテストを受ける必要があります。
テストはコンピューターベースでリスニング・リーディングの選択テストを中心に最後には簡単なエッセイもあったと思います。

もう8年近くも前のことになるのでこのESLの仕組みや具体的にどんな勉強をしていたかもよく覚えてはいないのですが、レベル6か7の上級クラスに入ることができました。

税金で賄われているので、ESLは無料で受講できました。

初回の授業では先生と生徒全員が各々自己紹介をしました。クラスの生徒数は20人前後だったと思います。

印象的だったのは最近ブラジルから移民してきたという若い女の子がESLの先生に「アメリカは好きですか?」聞かれた際にハッキリと「嫌いです」と返していたことです。
当時アメリカに来て3ヶ月目だった私もホームシックや日本語が話せない環境でかなりしんどかったので、アメリカに対して苦い思いを抱いていました。
彼女自身が望んでアメリカに来たわけではなかったのかなと想像してました。ちなみにその彼女はすぐにクラスに来ることはなくなりました。

このエリアはラテン系・東ヨーロッパ(ポーランド人が大多数)移民が多く、日本人は最初からいないだろうとは分かっていたものの、中国人や¥韓国人といった東アジア人もほとんどいなくて、カレッジのキャンパス内も家の近所でも日本人を見かけたことは一度もありませんでした。

でもたまたま隣の席に座っていたイランから移民してきた少し年上の女性とすぐに仲良くなりました。
彼女は家に招いてくれたりとても親切にしてくれて、また会いたいです。

授業や宿題について

授業は1回90分、週2回ペースで開講されていました。
教科書は配布されず、毎授業先生が教科書から印刷したプリントに沿って授業が進んでいきました。
一応復習のための宿題も毎回あったと思います。

私はこのクラスでは毎回宿題も夫に手伝ってもらいながらやって、ちゃんと提出して、ミニテストでも良い成績を残していたので、優等生と見なされて「宿題見せて」って言われることもありました。日本では小学校から成績は下から数えた方が早かったし、中学もほとんど不登校だったので、生まれて初めて周りから優等生と思われる気分はとても良かったです。笑

上に書いたように日本語を話すことが出来ない環境に加えて、英語ネイティブの夫の義家族と同居していたため、日本いた頃とは一変しフルタイムで英語を使う環境に置かれたため、みんなについていきたいというプレッシャーが大きかったです。加えて夫も当時は全然日本語が話せなかったので、私のストレスは溜まるばかりで夫を捌け口にしていました。笑 この頃はしょっちゅう喧嘩してましたが、義母と義父も常に喧嘩してたので、ベースメントの上の1階のリビングからお互いを罵る声がよく聞こえてきました。笑

高校3年生の時に1年間カナダのバンクーバーに留学していたのですが、同じ高校から一緒に留学に来てる日本人学生が周りにいたので日本語が使えない環境に置かれたのはシカゴが初めてでした。
それにバンクーバーは人口の半数がアジア系移民で占めてるので、アジア系スーパーも至る所にあって日本食が手に入ったし、街中でもワーホリで来てる日本人をたくさん見かけることもあって、シカゴと比べるとあまり外国感は無かったんだなぁと気づきました。

ブログやSNSで繋がった日本人女性は何人かいるのですが、住んでいる地域が離れているため、車がないと会いに行けないこともあり、対面で会ったのはほんの数回程度でした。また皆さん小さいお子さんを抱えていたり、妊婦さんだったりして、生活スケジュールが全然違いました。

ESLに通って良かったこと

生徒はみんな英語が母国語ではない外国人という同じ環境下で英語を勉強できたことと友達が出来たことが大変心強かったです。
最後の授業の日は勉強しないで、クラス内でパーティーして、それぞれの国の歌手をYouTubeで紹介しあったり和気藹々と過ごして楽しかったです。
私はPerfumeの「FLASH」を紹介しましたが、「何のことを歌っているの?」って聞かれた時には日本語でさえ明確でないので説明はできなかったです。笑
(最後の授業の日のクラス内パーティーはアメリカの学校でよくあるあるみたいです)

今では何とも思わないのですが、みんな「遠く離れた日本のことなんか知らないよ」って感じで「中国と韓国と日本はそれぞれ違う国なの?」「言葉は違うの?」って質問をヨーロッパから来た人によくされました。
当時はアメリカ生活に馴染むことに必死で心に余裕が無かったので「それぞれ違う国で言葉も違うよー」と爽やかに返しながら心の中で「お前そんなことも知らないのか」と軽蔑していました。笑
(まぁヨーロッパの学校でアジアの地理や歴史なんてほとんど習わないか)

次回に続く