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野球? 観ないよ。

 野球は観ない。観ないからよく知らない。大谷翔平をよく知っているのは、野球中継の枠外で活躍しているからだ。とくにニュースや、人気ドラマの間には入るCMなんかで。

 野球は、することもない。キャッチボール程度なら、学校からの道草程度にやったことはあるが、いまだライトが守備側から見て右側なのか、打席側から見て右側なのかがわからない。興味がないので、知りたい欲求が湧いてこないから調べることもしない。

 贔屓はどのチーム? と訊かれることがある。観ないから、贔屓はない。ない、と答えると、不思議そうな顔をされる。なぜ? と訊かれるから、観ないからと答える。すると、野球に情熱を燃やす質問者は冷水でも浴びせられたように、顔から血の気を引かせていく。その顔を見ていると、申し訳ないことをしたみたいな気になってくる。別にやましさがあるわけでもない。それでも恐縮してしまうのは、そんな場面で冷酷に振る舞うことではなかったはずだからだ。
 野球の話を振られると、いつも同じように答え、同じようにざらついた気分を味わう。
 いやな気分にもなる。野球を観る人は観ない人をどこか蔑む威圧感でプレッシャーをかけてくるからかもしれない。野球を観ない人種は生きていく価値がないとでもいうようなところが鼻につく。
 なぜ観ない? と訊かれたことが何度かあった。なぜって、観なきゃいけないものではないものだから、いいじゃないか、個人の自由だ、と心が叫ぶ。だけど小心が口篭らせて、付け入る隙を作ってしまう。

 野球が日々の暮らしと切っても切れない必需品だったら、野球中継の視聴率は100パーセントを獲得するだろう。だけど、そんなことはない。全国民を巻き込む野球中継なんてこれまで一度もなかったし、これからも達成される見込みはない。贔屓のチーム以外を観戦しなければ、視聴率100パーセントは達成しえないし、未視聴の数字を差し引いても視聴率自体はそう高くはないじゃないか。
 野球中継に興味のない人はたくさんいるのだ。
 付け入る隙に付け入れられるたびに、そう言ってやりたくなる。

 そもそも野球を観るのより、やりたいことがあるのだ。娯楽が野球以外にないのならしぶしぶ観戦するようになるのかもしれないが、今のところそんな制限は設けられちゃいない。個人の中で野球の順位は、離れすぎていて目視できないくらい遠くにある。

 野球は観ないよ。これからも。悪い? ところで君は、ほかにやらなければならないことはないのかね?

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