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バイク趣味をもたない人には退屈極まりない蘊蓄は、実は心の声なんだ。

 ハーレーに乗る度に、静脈を切っちまって血液が不等間隔爆発で噴き出すシーンを思い浮かべてしまう。水冷化が本格化する前のハーレーに、なのだけれども。熱き血潮が傷口からどっどどっどと流れ出すようなあの感覚。ほかのバイク乗りは「生き物みたい」と表現する、新手の言い回しといったところかも。
 あの空気を震わせる鼓動。人のぬくもりを宿したまま表皮に空いた穴から、どくどくと脈が血液を体外に放り投げているーーそんな光景を思い浮かべてしまうんだ。

 ハーレーは傍若無人を厚顔でやってのける唯我独尊の暴君なんだよ。かつてニ座あった王位の好敵手BMWを打ち破り、玉座をひとつにまとめ上げた。今や単座となった高座の椅子に深く腰を沈め、上から目線で「我こそがナンバー1」と誇示し、内外共にそれを認めさせたことで、世界がひれ伏した。
 英国の直立2気筒、廉価でそこそこ高性能、かつブルブルブルと乗車者を翻弄する半端ないやんちゃ坊主がハーレーの頭を抑えていた時代があったことなど、もう誰も覚えちゃいない。今やアメリカ娘の、品のよさより勢いこそ命の猪突猛進、それでいて威風堂々たるボンキュッボン、加えてロー・アンド・ロングのボリューミーなお姿が、紳士の国の暴れん坊の影を薄くしている。
 もっともかの英国紳士のオートバイ、理屈屁理屈に長けた英国人魂の特性が顔を出し、やれ賃上げ性や、労働間環境の改善を! などとよく声をあげるものだから、ちょくちょく生産が止まるなんて事態に発展し。おまけに親会社の倒産で会社は機能停止、しまいにはクラッシュ・アンド・バーンとあいなった。

 トライアンフの自滅で気をよくした当時の血気盛んなアメリカ娘、迫力はあれどじゃじゃ馬ぶりがすぎて、体調を崩すことしきり。ハーレーは「故障が出尽くすまでが我慢のしどころ、多大な出費もそれまでの辛抱」などということが、まことしやかに囁かれていた。
 壊れて困るバイクより壊れずに済むバイクを! と名乗りをあげて、アウェイに殴り込みをかけたのが日本製であった。その第一陣を切ったのがホンダであった。英国トライアンフより高性能で滑らかなエンジン・フィール、なのにトライアンフよりはるかに安いホンダは実はトライアンフを王座から引き摺り下ろした張本人。次に狙いを定めたのがハーレーだったということか。
 仮にホンダのアメリカ上陸作戦が机上の作戦で終わっていたなら、気まぐれな生産ラインをもってして経営の乱高下を繰り返していたトライアンフも、倒産の憂き目に遭うことなどなかっただろう。

 アメリカに上陸したホンダは、狙いが当たってハーレーの出生地であるアウェイで、「ハーレーと違って壊れない」と言わしめていくことになる。あれよという間にアメリカ人の心を奪い取り、米全土を席巻。しかも為替レートの追い風で、なんと米国産を遥かに凌ぐ高性能がハーレーの予算の4分の1以下、トライアンフより安く買えたのだから、こぞって買われていったことにも納得できる。アメリカ人オートバイ乗りにしてみれば、ハンバーガーに添えるフライドポテト程度の感覚で「ついでにホンダももらっておこうかしら」てな調子に買われていった。

 このようにして王位に就いたキング、ハーレーにも苦境の時代があった。浮沈がついてまわったのだ。
 日本が放った大陸間弾道二輪車はホンダだけにとどまらず、カワサキが、ヤマハが、スズキが高性能廉価を武器に追い打ちをかけていく。その容赦のない椅子取りゲームに、米国、家庭のガレージのハーレー所有率を結果下げていくことになる。当然ハーレダビットソン社の経営も、昇ったはずのウナギが下り循環にはまっていく。玉座でふんぞり返っていたハーレー興盛のほむらは次第に鎮火に向かっていくことにあいなった。

 だけど、火は消えることはなかった。手を替え品を替え、新技術を投入しもがき苦しみ、その中から不死鳥を生み出すことになる。1980年後半、ちょぼちょぼヒットを飛ばし始めていたハーレーについに真打登場、没落しかけた王族は『壊れないハーレー』(正確には、日本車並みに『壊れにくい』ハーレー』)を誕生させた。途中の道程は割愛させていただくが、その結果、ハーレーはアメリカだけでなく日本国内においても六本木のカローラまで昇りつめることになった。
 何気なく街行くバイクを観察してみると、まるで国産車かと見まごうばかりの夥しいばかりのハーレーが走っている。今やハーレーは、国内5大メーカーのひとつと言えるほどに陣取り合戦で善戦している。キング・オブ・バイクの面目躍如、いや、見方によっては町中華並みまで庶民の階位に目線を落としてきたということか。今日日、親しみやすい愛嬌を振りまきながら、涼し顔で日本の道路を行き来する。

 それでもハーレーは一部信奉者にとって高嶺の花であることに変わりなく、日本国内では憧れの的であり続けた。
 性能面で優っていてもステイタス性や個性で敵わない当時のホンダやヤマハ、スズキ、カワサキが我れ先にとハーレーに似たものバイクを作り節操なく発売に走った時期があった。街はここが日本なのかアメリカなのかの見分けがつなかいほど無秩序状態に陥り、その混乱にアンチ・ハーレー派は呆れ返っていたものである。ハーレーみたいなアメリカンは、所詮は王座に憧れただけのマガイモノ。庶民の背伸びが届かぬ夢を追いかけた滑稽な漫画絵図ととらえた者も少なくなかった。

 とかく我が国民の特性は、隣の芝生を青く見る傾向にある。だがその劣等感にも似た比較論者の洞察力は、ときに強力なバネになる。鬱屈した精神が欲を出し、手を動かすようになると、あら不思議。カワサキのダブリューは英国トライアンフの芝を青く見て真似たコピー商品が開花したものだったし、ジャパニーズ・アメリカンだって大陸一直線の道を走り続けるハーレーを、はるか後方からえっちら追いかけてはいるけど追いつかなかったけど、姉・兄を真似てやまない追っかけの妹・弟そのものだったけど、いずれ追いつけ追い越せの精神は、我慢強い国民なればこその底力で悪なき挑戦を投げ出すことなく継続し、結果として今では「アメリカン」タイプなるカテゴリーを「クルーザー」へと昇華させて勝敗をお茶で濁した。

 ここで少し脇道へ。
 ダブリューはいったんトライアンフがバイク界から足を洗ったことも手伝って、バーチカルツインの首位の座に繰り上げ当選で『本物』のお墨付きをもらうことになった。いわゆる棚からぼた餅だったに過ぎないわけである。正確には『引き継がれた本物もどき』と捉えるべきなのかもしれない。

 ダブリューがお手本とした旧制トライアンフは、時を経て現代に蘇ってはいる。そっくりのロゴを車両に記しているものの、よく見れば血統の違う旧制トライアンフもどきのロゴは旧型と差別化が図られていることに気づく。新生トライアンフは、トライアンフの皮を被った別物である。
 その再建された新生トライアンフは新しいバーチカルツインの開発当初、妥当W650を掲げた。このことからもわかるように、新生トライアンフには偏屈でも屈強なプライドは貫けておらず、結果としてそれは旧制とは異なる路線を明言したも同じであった。またダブリューを敵視したことで、完全なる逆転劇が起こった。かつてはトライアンフに後塵を拝したカワサキ(正確にはカワサキに吸収合併される前のメグロ)が、今度はトライアンフに追いかけられることとなった。

 それに引き換えハーレーの壁は強固だった。どれだけ技術で優っていた日本勢でも、真似リカンでは本物に追いすがることさえできなかった。
 ジャパン・メイドならぬジャパン真似イドはイタリアのモトグッチの縦置きVやドゥカティのLツイン、BMWの水平対向エンジンさえをもも真似た過去があるけれども、ダブリューほどの劇的な逆転劇はカワサキをおいてほかにはひとつも起こらなかった。あれはバイク世界における唯一の奇跡だったのだ。

 日本が世界を震撼させ、辛酸を舐めさせた確固たる技術もある。多気筒エンジン。インライン4、マルチエンジンなどとも呼ばれる4気筒で大排気量の高性能エンジンである。世界のサーキットコースで繰り広げられるレースで世界の度肝を抜いた日本生粋のオリジナル技術は、それこそが日本スタイルと世界に胸を張れる代物となった。
 
 ふう。
 一気に話すと、喉が渇く。
 
 さて。 
 
 オートバイには、オートバイ乗りの数だけ蘊蓄がある。他人の蘊蓄は自分の蘊蓄とは違うから、聞く気にならない。聞いて面白くない思いをするくらいなら、聞かずに幸せに浸っているほうがはるかにいい。蘊蓄が張り合えば説得し合ったり、反発し合ったりの攻防が始まるけれども、そんなのは無駄な争い、ナンセンス。
 いいじゃないの、趣味の世界なんだから。趣味の合うもの同士が集まって楽しいのは、お互いに認め合えばこそ。そこで自分の主張を繰り広げたって、誰も相手にしてくれない。少なくとも個人的にはしてあげない。だから自分も人前では主張しない。
 他人のレビューは見るが、まに受けない。


 ハーレーの、血液がどくどく噴き出す感じのエンジンが好きだ。だがここまで六本木のカローラ化が進み、猫も杓子もハーレー乗るようになってしまっては乗るのにも躊躇いがでる。それに今のハーレーときたら、KTMじゃあるまいし、デザインがあまりに若者寄りぎて落ち着きがない。しかもよくできているので乗っていても危機感がない。噴き出す血液、放出し切っちゃうんじゃないの? とまではいかないまでも、荒い鼻息のようなものを感じない。振動も少なく故障も少なく、血液を無駄に噴き出すことのない快適で優等生にハーレーはなっちまったのだ。これはもはや新しい水夫のための新しいクルーザー。デジタル・リテラシーと同じで、古い水夫にはちと肩の荷が重すぎる代物となった。

 ダブリューはもうブルブル震えなくなったし、モトグッチの癖は嫌いじゃなけどV7なんかは乗り味が大味で大きなスーパーカブだったし、そろそろ落ち着いたバイクに乗ってもいい頃合いかなと思っている。
 
 いやなに、バイク乗りはことバイクに関しては浮気性なものでして。
 これもまた新しいバイクに乗りたいがゆえの言い訳であることは重々承知しているわけでして。


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