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碩学の声。

「地球の成り立ちに人智が追いつこうとしている。ジョーダン・スウィングが今まさにダンク・シュートを決めに床を蹴ってゴールに向けて跳んだように、ゴールのリングが頭上に迫ってくる。勝利は目前、人類逆転劇の始まりだ」
「解明されつつあるってことを言いたいわけね」
「なにを言いたい?」
「解明は、机上での論証だよね?」
「まあ、そういうことだと思うけど」
「ご都合主義のエゴイズム?」
「違う。傍観的な解釈ではなく、空腹だから喰らう肉食獣の本能の体現だ。今度のバベルの塔は神様にだって崩せない」
「また人類はひとつ高慢になったってこと?」
「それも違う。これまでの創造の把握と、これからの創造の主役」
「ほら、やっぱり奢っているじゃないの」
「    」
「その空白で話すのやめてくれない」

 ★ ★ ★
 
 新聞で知ったんだけど、この70年間に人類は人工的な地層を刻んだそうじゃない。核だのプラだの、化学由来の産廃物を大地に堆積させた。
 Anthropocene(アントロポセン)。
 客観的定義は、人類を地球の主役から観察される側に立場を変えた。創造の傲慢な主から、歴史に刻まれゆく1ページへと。バスケットボールの逆転劇と違って、立場の逆転は、見ててもちっとも面白くない。ゲームをつまらなくしていった試合運びが、今さらながら後悔のち変質して諦観となって背や肩にのしかかっているせいだろう。

 主役じゃないから、人類滅亡だとか、人類にとっての地球破壊という発想はナンセンスと指摘する人がいた。はるか先の時代から観察されることになるのだからと。
「おいおい」と前言を発した人を注意したくなった。
 人は自分の都合のいいように解釈していくようになる。未来に明るい光源を匂わせれば図に乗る。現代が未来につながることがわかれば、欲が理性を乗り越える。ましてや環境破壊も気候変動も当事者から他人事にすり替えてしまうような言い方をすると、ますますやりたい放題になる。
 そんなのじゃいけない。

 
 古生代の「代」からジュラ紀の「紀」へ、さらに「世」というように地層は細かく分類されていく。現代は『人新世』と呼ぶにふさわしい時代なのだそうだ。
 
 これは新しいサイエンスフィクションの原動力となりうるのか?
 はたまた、目にとまっては忘れていく蓄積されない知識の蜃気楼のひとつなのか?
 
 僕は地層の奥のほうで眠る恐竜のはるか地表に近い地中で、いずれ化石燃料として使われていく我が身を憐れみ、閉じた瞼に力を込めた。

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