繋がりし者。
家庭教師は銀河鉄道の客車の中で、教え子と共に海に沈んでいった。
読んだことさえ忘れてしまう本に埋もれず、際立った虹彩で胸に刺さったままの作品がある。他を寄せつけず、混じりもせず、ありのままこれから先だって未来永劫同じ姿であり続けるもの。
本には軸が宿っている。巡り合わせで繋がることもあれば、一目合ったその時に、恋に落ちるように書店店頭で手に取ってしまうこともある。
生き方の、考え方の軸は、ある日突然降りてくる。
本でなくても、そんなイベントに出くわすことがある。人から、映画から、あるいは目にした先の光景から。
人は何かと繋がっていく。カムパネルラが死んでしまっても、ジョバンニが繋がり続けたように。
人は社会に生きる。繋がることを前提としたライフ・ステージだ。
一昨日だったか、新聞で老齢になったら友は要らない、という文字が飛び込んできた。本当にそうだろうか。年老いても、人は社会と関わり続けていきたいのではないか?
はるか銀河に浮かぶミルクの粒みたいな一生でも、人は生涯というステージに浮かんでいたいと思う者ではないのか?
「浮かべるだけ浮かんでいたいと思うのです」と家庭教師は言った。さらけ出されても無垢でいられる本心が胸に刺さる。
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