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窓 人生劇場上映中。

 覗いてはいけないものがある。覗いてはいけないものだから覗かないけれど、覗くまでもなく、わかりきってることがある。夕闇が街を覆えば人生劇場の窓は開く。窓に開く。中にはこれ見よがしに見せたい人もいるだろうけど、好むと好まざるとにかかわらず、それらは白昼夢という寝床から這い出して、眠気まなこをすりすりしながら起き上がり、明かりが灯されると同時に演じ出す。昼から夜に切り替わるちょうどその境目に、窓々はにわかに活気づく。それらは題名のない上映会。ひとつひとつの窓ごとに違ったお題だ、お立ち合い(見せものではないにせよ)。

 たいがいは見られぬことを前提の開幕だから、無防備で、だからなに気に大胆だ。人様に見られては、穴を掘ってでも入りたくなる羞恥のお題もあるだろう。可憐な乙女を自称するなら、さらした本性を見られては、死んでしまいたくもなるだろう。

 道すがら見上げる窓に足を止め、止めたはずの足をよからぬ方向に動かし始める不埒な輩がお縄になってるようだけど、闇の囁きにそそのかされて、つい甘い囁きの口車に乗るからそんなことになる。夜道で注意しなけりゃならないのは、女のひとり歩きだけじゃない。誘惑に弱いタチの男なら、よっぽど注意しておくことだ。甘い誘い水に惑わされ、誘いに乗ったら最後、捕まって人生の幕を閉じるハメになる。

 たまたま見えちゃった、というのなら仕方ない。目に入ったものは、見なかったことにできる。だけど、見てしまったら、見なかった現実にすり替えることはできない。たまたま見えてしまったら、しっかり見てしまう前に、そっと目を逸らすに限る。釘付けの誘いに負けて凝視しようものならば、スルスルとお縄が天から降りてくる。

 世界は広くて社会は多様、中には見せちゃう人もいる、聞かせちゃう人もいる。あれは……。遠い真夏の夜の夢。暑苦しい夜だったから、致しかたなかったのかもしれないけれど、あんなに暑い夜だったのに、エアコンかけずに窓開けて、というのはあまりに無謀だった。十月十日の歳月流れ、元気に生まれてめでたしめでたし、結果よかったのですべてよし。あの夜の出来事は、こっちの記憶からしっかりデリートしておくことにいたしましょ。

 そういや、見せるための窓ってのがあった。魅せて酔わせてお店に入れて、買ってもらおうって魂胆のショーウィンドウ。夕暮れ時のライトアップは、蛍が誘う甘い水。胸躍らせる発欲剤の芳香と搦め手で迫ってこられたら、もうたまらない。購買欲がいやが上にも盛り上がる。
 買うも八卦、買わぬも八卦の大勝負、大枚叩いて買ってしまったら? 得たものに歓喜するか、軽くなった財布に落胆するか、あるいはその両方か。
「買ってみるまでわからない」ですって?
 なるほど。
 って、結局、買っちゃうんだよね。買わされたと言うべきか。

 窓。そこにはひとつずつの人生劇場がある。ほとんどのものは観客のいない一発勝負の名(迷)公演。悲喜交々で、日々塗り替えられてく名(珍)作集。あなただって舞台の内側で今日を演じる名俳優(たぶん)。

 今日をよく演じることができたなら、きっと明日もまた。悔いがなければ、そんな今日を演じられれば、あなたの心の窓の光彩も、より明るいものとなる。きっと。

【窓のひとつひとつに人生劇場】

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