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恋も幻想。幻想の原動力。

「恋」は盲目になるものだし、一夜で冷めたりもするものでもある。

世界をバラ色に染めることもあれば、想う気持ちが強すぎて苦しくなることさえある。

いちいち現実に起こっていたら、世の中大騒ぎだ。

恋は幻想。
社会を騒がせることなく内なる自分に起こっては、頭のてっぺんから足の先までをめまぐるしく駆けめぐる。

それでも自分の内側で起こる大騒ぎは、世の中の大事件以上に衝撃的だ。

幻想は大きければ大きいほど、人を突き動かす力は増してくる。
日記をめくると、明日話をする人がこんなことを言っている。

「幻想にひたっていれば、なんでもできる。お金もかからないし」

どのページにしようかな? 神様のいうとおり! で開いた過去の日記帳。その開いたページの翌日に彼が放った言葉だった。

自粛下、家庭の懐事情が厳しくなりつつある彼は、幻想にひたりながら現実的だ。
それでも前を向いて歩いていることがわかる。

幻想は原動力。

年末年始の商戦に暗い雲がかかり2021年への壁がいちだんと高くなった昨今。来年には延期されたスポーツの祭典もある。

暗澹たる思いでいては、壁を超える足取りも重くなる。

スポーツ選手が大会に臨むとき、どんなことを思い浮かべるか想像してみた。ちょうど『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディ・マーキュリーが大観衆に迎え入れられステージへあがるシーンが重なる。

スポーツ選手は、大会本番までやることはやってきた。自信の裏付けは充分すぎるほど積み重ねてきた。体調も大会に合わせて調整してきた。コーチや監督たちのサポートも万全だった。

やれば、できる。と自分を鼓舞する。

やらなくても、できる。とさらに気持ちを高める。

そのとき、最後のあとおしが見えるのではないか。

大観衆の大声援だ。

すべては幻想。

だけど、勇気をくれる幻想。
原動力となる幻想だ。

現実を受け止めながら、幻想に力をもらう。

だいじょうぶ。
その幻想は寝て起きれば覚めるものではなく、事情があって会場に集まれないだけの現実だ。

今年もあますところあとひと月。
笑って迎えたい新年。
これは幻想か?

いや、願いを現実に変える原動力だ。

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