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友から連絡来たる。

 古い友から連絡があった。出版不況が押し寄せて、知り合いだった者があれこれあって、『そして(周りから同業者が)誰もいなくなった』のだと。
 同じ職場で働いていた頃は濃密だった繋がりも、今やその友はこの都内のどこかで関係を薄めるだけ薄め切ったような密度でしか繋がってはいない。電車で数十分と離れていないはずなのに、ずいぶん遠ざかっていた。
 その友が、物理的にそう遠くないところから連絡をよこした。

 連絡をもらってもなお、友はまだ現実とはかけ離れたところにいるような気がしてならなかった。黒電話だったころのハワイからかけてくる電話みたいに、輪郭が不鮮明で、ディレイがかかったようなメール。かなり現実味を欠いている。
 電話で音声に頼っていれば少しはリアリティが出たかもしれなかったけれども、メールの文面にはなにかこう保護幕みたいなものがあって、連絡をもらったこと自体にも信憑性が欠けているように思われた。

 ぼわわん。友の顔が弾むように膨らんでから歪んでいく。
 あれ、こんな顔をしていたっけか?
 どんな顔だったか、思い出そうとすればするほど姿形が陰影に連れられて遠ざかっていく。朽ちた肉体が装飾品と髪の毛だけを残して無惨な姿に変わっていくように、友のトレードマークだった野球帽だけがふるいから落ちずに残っている。

 そういやあいつの帽子、藤子不二雄先生が怪物くんに被せたものと同じだった。
 でもなぜあの野球帽だったんだ⁉︎
 どこかで藤子不二雄先生と接点があったのかもしれない。仕事場を共にしていたころには気にも留めなかった些事の疑問が、損なわれていく輪郭を埋めていくように広がっていく。

 会わないか、と誘われた。
 会って今さら何を話そうというのだ?
 滲んだ輪郭をもう一度描き直すだけなら、会う意味などほとんどない。仕事につながるふうでもなかったし、ただでさえ短くなった秋の夜長を、思い出話で埋めたくはなかった。

 いずれにしても友の一方的な提案につきあうだけのゆとりはなかった。こちらから仕事を振れるほど景気のいい業界ではないし、仕事で濃密な関わりをしたと言ってもあくまでも業務遂行上での濃度でしかなかったから、花を咲かせるだけの思い出話もたくさん持ち合わせてはいない。会っても長くは話せなさそうだし、面白みに欠けそうだ。

 会って肩を落とすより、会わずに明日を見上げていたほうがずっといい。

 わかった、時間ができたら連絡する、と書いて送信した。
 待ってる、と返ってきた。

 そういえば友と過去、同じやり取りをしたことを思い出した。あれは4、5年前? それより前のことだったか。
 そしてまた私は、彼の「待ってる」が彼の中で風化するころ、また友から連絡をもらうことになるのだろうと思った。

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