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その顔の理由。

 最近コンビを組んだカメラマンが、親しくしていたカメラマン仲間の話をぼそっと語ってくれた。彼はニューヨークのスカイスクラッパーでモデルを撮っていたという。屋上の風の通り道、地平線まで続く都会のビル群が遠くなるにつれ存在感を薄くしていき、どん詰まりのそれは豆粒より小さい。足下は断崖絶壁の高所、作業用足場をたどったインディアナジョーンズばりの危険地帯、そこで被写体をファインダーにとらえ、フレミングで構図を決めていく。もう少し空間を空けてみるか。被写角と造形物の比率を確かめながら、カメラを上下左右にずらして微調整し、足場を変えながらシャッターを押していた。その時に撮られていたモデルから聞いたんだ、と彼は言った。33枚目、34枚目。フィルムは36枚より少し多めに撮ることができる。あと3枚かしら? よくて4枚撮ればフィルムを交換しなければならなくなる。あともう少しだからだいじょうぶと彼女は思ったという。だけど、ちっともだいじょうぶじゃなかった。35枚目のシャッターを押す直前に、撮影位置を決めるために後ずさった撮影者は、作業用の足場から足を踏み外し、落ちた。
「あ」、短い感嘆符だけが残った。最期の言葉だった。
 モデルは、死の断末魔と言うけれど、現実はドラマチックでもなんてもなく、実にあっけないものだったのよ、と語った。

 落下していく時にヤツが見たものが頭から離れないんだ。僕はニューヨークに行ったことはないし、街の造形にも詳しくない。テレパシーなんてものも備えていないから、ヤツの見た景色が僕の想像上のものでしかないことはわかってる。でも、意識がなくなるまで垂直に流れていく建造物群の流星を、僕は確かに繰り返し見ているんだ。
 ヤツの意識が接地するまであったかどうかはわからない。途中で気を失っていたかもしれない。だけどその瞬間は思い出せないんだ。思い出したくないという思いがかき消しているとも考えられる。いずれにせよ、僕に託された念の残像はそこまで。きっとヤツも落下しながら、それ以降のことは考えたくなかったと思っていたに違いない。

 最近コンビを組んだカメラマン。「なぜ撮る時に悲しい決意の顔をするの?」と訊いた答えを、ある日、瘡蓋かさぶたを剥がすみたいに教えてくれた。

【人の表情には『語らない過去』が滲み出ていることがある】

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