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不器用で何が悪い。

 英語が苦手な者が英語を学ぶとぶち当たる壁がある。日本語と英語では基本的構成が違っており、以心伝心は英語には盛り込まれない。以心伝心を言葉に託すことに慣れた者は、当面その違いに戸惑い苦しむことになる。

 BBCニュースが2024年3月30日に《Strong winds jolt ski lift with skiers on board》とあった。
 読めばわかるが、いったん日本語に訳した文章を英訳し直すとき、元の英文にならなかった。慣れた日本語の癖で「on board」がすっぽり抜けてしまう。「強風がスキーヤーごとスキーリフトを激しく揺らした」と和訳できるその英文は、拙い小生が訳すと《Strong winds jolt ski lift with skiers》となる。これで満点なはずだと、日本語的解釈のフィルターは鉄壁の守備を主張する。だがこの解答には、英語堪能者に鼻であしらわれる初心者のミステイクがある。

 ここで言いたのは、初歩的間違いの是非ではない。末端のいちいちではなく、物覚えの良し悪しまで傍観点をぐっと引いて、全体を客観視してもらいたい。

 何が言いたいのかというと、まず、器用な人は何事においても巧みにこなせるセンスを持ち合わせている、と言っておく。器用人は、みな貧乏なわけではなく、理詰めで段取り組まなくてもひょいと障壁を飛び越えてみせる。これは不器用人にとってなんとも羨ましい能力だ。
 小生のような不器用人は、そのまったくの真逆で、金持ちなわけではなく、理解の階段を理詰めで攻めこんでもらわなければ理解できないくせにいっこうに捗らない。小さな石ころが転がっていれば、いちいち躓き転んでしまう。結果に辿り着くまで時間もかかる。他人の倍努力しないと基準値に追いつけない。倍じゃ済まないかもしれないという底なしの不安も生じる。すると、焦りが戸口の影から顔を出し、空まわりに拍車をかけてくる。するとずるずると、よけいに遠まわりしていくことになる。

 ただ、転んでもただでは起きたくはない。昔からそういう性分で生きている。不器用人は、ひとつ器用人には得られないものをゲットできると固く信じている。このことを心の拠り所にしている。それは、転んでしまうことで、這いつくばった地面をこの目に焼きつけることができるということ。
 これは、小生と同じ不器用人に解説するのに、器用人には持ち得ない武器になる。天才バッターに教わって上達するのは、同じ素養を備えた天才バッターでしかない。その他の多勢を占める凡人に、感覚的指導は混乱の素にしかならない。

 あの英訳に「on board」は必要か?
 世に問うと、くだらない遠まわりの屁理屈こそ蛇足と足げを喰らいそうである。 

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