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ありがとさん。

 村上春樹氏の新作をひとブロック読んではひと休み。700ページに迫る重量級の大作を書き上げてくれたんだ。そのことに、ありがとさん。
 思えばこの書籍という携帯を発明した人もいたんだね。文化を閉じ込めることを閃いてくれなきゃ、こんなふうに読書にいそしめない。発明してくれた人にありがとさん。
 そしてたくさん印刷してコストを分散する仕組みを作って、遠くにいても届けてくれる人もいて。だから財布に収まった限られたお金でも村上春樹が読めるんだ。ありがたいことだ。ありがとさん。
 ひと休みを利用して、コーヒー淹れてひと息つく。コーヒーの栽培者がいて市場で売る人がいて、焙煎はお店で売ってる人が担当することもあるけれど、消費者の煩雑取り除き、ご丁寧にも粉にまで挽いてくれる人もいて。それらの人にもありがとさん。淹れるコーヒー、ペーパーフィルターを作った人もいれば、旅先で買った手作り陶器を作る作家さんもいる。みんな、ほんとにありがとさん。
 そういや「人の役に立つことを」と教えられて育った若い日々。人の役に立つって、遠雷のように重みのない脅しのようなものだった。遠くにありて思うものでしかなかった。それが急に身近になったのは、追いかけることをやめたとき。探し物が探すことをやめたときに見つかるように、大事なものは立ち止まった瞬間に背後からどすんとぶつかってくる。
「急に止まるんじゃない。危ないじゃないか」とかなんとか文句を垂れながら、彼はおもしろくない顔してる。ペースが乱されることは、彼でなくてもおもしろくない。ぶつかった勢いで彼は背後で尻餅ついていた。立ってお尻を確かめては、パンツが破れていないことに安堵して。埃がついたままのお尻、見ればきれいでハリがある。
 そんなお尻に感心するじぶんが可笑しくて針でつついたような笑いを上げると、彼、なおおもしろくなさげな顔しちゃってさ。すこし、ご立腹? でも少ししたら他愛もないアクシデントに立てる腹など持ってはいないというように、怒りの踵を返してさ、一緒になって笑ってくれた。
 笑いながら、ぱんぱんと埃を払いだした。払われた埃は、ぱっぱっと無風の中に散り、何事もなかったかのようにお尻、綺麗になった。
「ごめんごめん、気が付かなかったものだから」
 僕が謝る。そう、人は、痛い思いをしたりさせたりしないと、大事なものに気づかない。
「まあ、いいよ」と彼は言う。伝わるやさしさはいつだってさりげない。ありがとさん。

【我願う、ゆえに我あり。もらえたらちゃんと「ありがとう」ってお礼を言うから、たくさんおくれ。】

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