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傘がない。

「本日は傘の忘れ物が非常に多くなっております」
 アナウンスが流れた直後、立てかけてあった傘が置き去られたことに気づいた。
 その席にはたしか足元がおぼつかない老夫婦が座っていた。置き去られた傘と老婦人が座っていたシートのぬくもりは何かしらの糸で結ばれている、第六感がそう告げた。相関が空想力の中で湧き立つ夏の雲のようにヴィジュアル化されようとしていた。物語になる前のタネがじきその芽を出す。

 老夫婦が東京駅で降りる際、傘が置き去られているのに気づいてはいたさ。なのに声をかけられなかったのは、老夫婦がホームにおぼつかない足をおろし歩き始めたこともある。もう間に合わない、そう判断した。追いかけることもできたが、東京駅で降りてしまうと自分の都合に間に合わなくなる。だからつい、自分の都合を優先させた。

 もうひとつ理由があって、老夫婦が椅子に腰を掛ける前から傘は置き去られていたのではないかという疑問が暗雲のように頭上でトグロを巻き、その異様な光景に足が止まって、起こすべきアクションの機を逸してしまったこともある。老婦人の傘かもしれない。そうでないかもしれない。老夫婦の傘というセットとなった組み合わせは、あくまでも可能性の話である。間違った判断だったら、無駄足を踏むことになりかねない。間違っていた場合の失態が判断を遅らせた。

 思いをさらに深めた。そして導き出した解は、やはり傘は老夫婦のもの、という結論だった。なぜならやはり老婦人と傘の間には、見えない糸がある、そうした思いが高気圧のように張り出してきて、思考の領域を占領したから。
 だが、結論づけたときは時すでに遅し、電車は扉を閉め、東京駅を発っていた。

 あの老婦人に、今、傘はない。駅舎を出て降雨の空を見上げた時、ああ傘をなくしたのだ、と気づくだろう。傘を忘れた悔恨が東京駅で老夫婦を中心として悶々と広がる中、持ち主を失くした傘は山手線で旅をする。

 その傘には、どんな思い出が詰まっているだろう。老婦人とどんな旅を刻んできただろう。取り残された傘は、しょぼんとして、躯体に残る雨の雫を涙のように流し続ける。

 あの傘は、老紳士が 老婦人に贈ったものだったかもしれない。
 いかにも育ちの良さそうな傘は、ビニール傘とは違って手足を投げ出し不貞腐れることなどなく、忍耐の涙を流しながらも気丈であり、そこに凜と佇んでいた。


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