近隣は控えめな猫町だ。児童公園の桜の古木に身を寄せて、冬の枝から漏れ落ちる陽に身を丸くする飼い猫もいれば、昭和レトロと呼ばれるまで頑張った古参喫茶がその日の仕事を無事こなし店じまいもそこそこな熟女主を夜な夜な近隣散歩に誘いだす、客に懐かぬ元野良の看板猫もいる。桜の根っこの丸猫は、撫でても耳でハエを払う程度しか返してくれはしないけど、動ぜず、泰然で、浩然で、近所の猫好きに知名度堂々ナンバーワンの存在だ。いっつも定位置にいるものだから、いつ自宅に帰るのか謎な猫である。かたや昭和レトロな看板猫は、散歩となると郷愁に誘われるのか、野良全開。お店に幽閉されてた悲しみのうさを晴らすかのように、スタスタさささっの身軽さで、美女から美女へならぬ、物陰から物影への移り気に忙しい。
麺屋で飼われる三毛猫も拾われてきた猫なれど、美人がゆえにツンとおすまし、見知らぬ人にはフンと素通り。一見さんの半径2メートル以上には近づかない。近づくと、捕えられるとばかりに逃げていく。
毎夜マンションの出窓に立って、影絵で知られるようになった猫もいるが、外には出ない家猫のようで、実態が把握できないままでいる。
野良もそこそこいる。本格的な野良になると、餌をくれる人以外には決して近づかない。近所の野良は、野生を捨てぬぞと決意がかたく、給餌の人には近づくが、餌はもらえど、施しは人の手からは受けぬと餌を手から出されりゃ爪を出す。
小さく古い町なので、路地が縦横無尽に走ってる。
ある日窓から下の路地を見おろすと、白玉を縦に伸ばしたような物体、うねうねと動いていた。いや、猫であることはわかってる。だけど尻尾と頭が黒い白猫なものだから、薄暗がりの路地に煤けた白が浮き出していたものでね。
猫屋敷もあって、ニュージランドのヒツジみたいにそこは人の数より猫の数のほうが圧倒的に多く、だから猫の手入れもたいへんなはずなのに、どの猫も毛並みがすこぶるいい。すりガラスにその御姿を透かして魅せる猫さまもいれば、玄関外のダンボール離れに居心地良さの幸福顔で寝息を立ててる猫もいる。そんな猫屋敷の猫たちは箱入りで、深窓の、お屋敷のお嬢様たちで(王子様もいるかもしれない)、プライドの高さからか、城下の町人とは線を引く。近寄らず、決して媚を売らないのだ。
先般、威風堂々としたどこぞの大将みたいな、顔も体も態度もでかい鮮やか色彩の首輪を纏ったおめかしお猫様に出会った。
その猫はにゃんとは鳴かない。にゃあとも甘えない。寡黙にのしのし歩いていた歩を止め、こちらを睥睨してきた。お偉い猫のオーラが滲み出ていた。仕方ない。目線を下げひれ伏す意味でしゃがみ込み、忠誠の人差し指を差し出してみた。
わかっておるじゃないか然とした表情を見せたその大将猫、なんと意を酌みのっしのっしと歩み寄ってくるではないか。
ところが、である。伸ばした人差し指をいちどクンと嗅いだら、撫でて、でもなく、餌はないのか、でもなく、踵を返してのっしのっしと行ってしまった。寸止めされたみたいで釈然としない。意味を汲む事もできず、しばらく固まった身を動かせなかった。頭も働かない。
しばらくして凍りついた思考が溶けはじめると、ひとつの推論に思いいたった。
我が身、軽挙妄動であったのだな、と。
教えられました、大将。あざっした!
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