見出し画像

 友は、運び込まれた救急外来の入口で心臓を止めた。胸にのしかかる鉛のような錨に海底に沈むみたいにして、ストレッチャー上で死んでいった。遠のく意識は海面に届かず、ぐぶぐぶと深みにはまっていく。沈み切る間際、海面が病院入口の天井と重なった。

 幸い友は語るべき話の続きを得た。映写機のフィルムを切って繋げたように真ん中をすこんと落とした記憶は、瞬きののち病室の天井に変わっていた。天井しか見ていなかったから、少し前のとは違う似て非なるすり替わりの違和が、船で酔わされたごとくの納得できない気持ち悪さを喉元に押し上げてくる。
「なにが起きている?」
 友は、身に降りかかった一連のあれこれを失くしていた。AEDの記憶も、願いが叶わぬかもしれなかった蘇生への腐心も、彼の時間外に組み込まれた出来事だった。だからさなかにあった記憶は、後追いで埋められた作り物でしかない。
 
 時間は、前後を入れ替えながら、欠けた空白を埋めていく。義手義足ならぬ義記憶によって。
 
 彼の心臓の一部は壊死した。いちど機能を失った器官は、悪化の奈落に傾きこそすれ、二度と動き始めることはない。一歩道を踏み誤れば、あの蹲(うずくま)らざるを得ない圧迫に窒息死しそうな痛みと苦しさに再び襲われてしまうのだ。いつ訪れるか知れぬ止まぬ恐怖が、生命力の精彩を貪りながら現実味を色濃くしていく。
「死にゆく自分がそら恐ろしい」。彼はそう言ってから続けた。「今は、ナースコールが手にないことがいたたまれない」
 退院し、リハビる彼の目には死の淵がゆらゆらと揺れている。次があったら、その時は間に合わないかもしれない。入院時に握らされていたナースコールという命綱を外された彼の心は、手を離し呆然と目で追い佇む女の子を眼下に見下ろす風船だ。毎秒ごと一句発するごとに、生き続けていくことから見放されつつある思いが槍となり、刺さり、心痛を生む。

 医者は、無理は禁物と他人事のように言う。命に重い内容を、口から軽く発する。
 意味はわかる。だから示された道行きを頑なに守る。すると今度は、おっかなびっくりが過ぎて何もできなくなっている自分に気づく。まるで生きた心地がしない。
 生きるために自分を殺すジレンマが生と死の領域を攪拌し、不安を煽ってくる。
 主治医に相談すると、気持ちいいと思われることはしてもいいとあっさりしたものだった。「温泉も、適度のサイクリングもリハビリですから」。そう言われても、と彼は踏み出す勇気に今ひとつ恵まれない。
 過剰な心配は逆効果。そう医者は言いたかったのだろう。「急がず、焦らず、負担なく。適度な塩梅で」かあ。
 言うに容易く、実行に難しい難題は、その時が初めてじゃない。

 慣れている。それって、耳慣れているということだろうか。それとも、実現しっこない絵空事の空転する期待を遠くから諦観することに?
 
 彼の心はまだぐずついている。それでも彼は新しく示唆された生き方を確実に積み上げ始めている。
 隣に腰をかけた死神を意識しつつ、付かず離れず、信じ、ひとつ願いを灯しつつ。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?