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仕事でなければ行かないところがある。横浜だとか新木場だとか、休みの貴重な時間をそこに費やすくらいなら、ほかに行くべき場所がある。十石だとか夜叉神だとかに。
基本、都心のちんまり小綺麗にまとまった暮らしから離れたいのだ。便利で繊細でスマートだけれど、都会の暮らしはよくできたトヨタ車みたいで、どこか物足りなさを感じてしまう。人は真っ先に幕の内弁当を夢想しがちだが、物産展なんかで心を奪われるのは、平準から逸脱した尖った弁当であるように、休みの日には乾いた瘡蓋を剥がさずにはいられなくなってくる。
人はこれを非日常への脱出願望だとか、忙殺されゆく自分時間への回帰だとか、さもわかったような顔をして鼻を鳴らす。耳にするたび、あんたにゃわからんと後ろ足で砂をかける。
健康診断で栄養士と話す機会があった。飲酒の回数が多いから減らせ、と言われた。はいそうですかとその日から半分に減らして報告した。便利な世の中で、LINEで継続アドバイスがもれなくついてくるお節介機能のせいで。
すると、それはすごいと返信がきた。まるでアル中患者の努力に頭をいい子いい子したみたいな言い方に、襷の掛け違いめいた違和感があった。
「(飲酒回数を減らせたのは)ご自身の健康を思い、このままじゃまずいと考え、生活を改めなければとお思いになったからですね」と、さもわかったような顔で断言されたのにはまいった。第一、もともとアル中じゃない。それに、理性で本能は抑えられない。食べたい欲求が理性のダイエットを抑え込めないのは、理性で本能を制御しようという無理難題に、無駄に終わることには目を瞑って果敢に挑戦してしまうからだ。
それにしても発想の土台が気に入らない。アル中じゃないって最初の面談でも宣言してるのに、聞く耳を持ってくれてはいなかった。
栄養士先生は自身のアドバイスに酔い、次なる患者へ伝える好都合なロールプレイと勘違いされたようだったけど、そのほくそ笑み、無駄足に終わりますよー。先生、理性で本能は抑え込めやしませんぜ。飲酒回数を減らすアドバイスは、飲まなくてもいいやといった気分にさせてあげなくちゃ。頭で理解させるより、心理学の領域での誘導こそ効果あり、だと思うのですけれども。
非日常への脱出でも、自分時間への回帰でもない。これらの定義は、土台が都心である。なぜそこから抜け出せない? 都会なくして現代人の暮らしは成立しないとでもお思いか?
頼むからその浅知恵で、闇ある井戸の底を読もうとするのはやめとくれ。土台、無理な話なんだから。
このショート・ストーリーのタイトルに『橙』を当てた。それは、闇ある井戸の底と共にある。どのように捉えるかは読んでくれた人次第。だけど、何を思っても口にしないでいただきたい。思い思いの定義は、あなたの井戸の底にしまっておくに限ります。
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