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無駄な抵抗で世界は繋がっている。

 世の中、自分ではどうにもできないコトがある。もっと遊びたかったのに「暗くなったから、もう家に入りなさい」。とか。身支度に手間取ったせいで「発車します。おつかまりください」すんでのところでバスが発車しちゃう。とか。
 世の中、巨大な独楽みたいなもん。自転する巨大独楽の回転についていくことができれば波に乗る。ついていけなくなると弾かれる。私たちひとりひとりも、巨大な独楽に翻弄される小さな独楽。三蔵法師の手の上で、くるくるくるくる回ってる。ゆらりぶらりとぐるぐるあちこち漂いながら、豆腐の角やら路傍の棒やらに当たっては弾かれ、ぐらぐら揺らいで目をまわし、コウベを下げて項垂れて。

 鬱憤晴らすわけではないけれど、小さな独楽は小さい独楽なりに、心のバランス保ってきた。
 音楽やゲームで紛らわし、美味いもん食って吹き飛ばし、盆栽・ペットで遥かに
小さな独楽を手中で回してニタリ顔浮かべたり。
 
 世の中、自分ではどうにもできないことが多いけど、飼い猫をお風呂に入れたときに気がついた。
 もしかして?
 私たちも広大な独楽世界のあちこちで、きっと誰かの「やりたいこと」を阻止してる?「やりたくないこと」を推している? 空間から鳩を出現させるみたいにして、ああだこうだと理屈を取り出しながら。
 
 私たちは理屈という紐にぐるぐる絡め取られては、ぎゅっと締まっていることを確かめられたあと、紐を引かれて駒として解き放たれてきた。いいように回されてきた経験は回す術を学び取り、今度はこっちの番とばかりにぐるぐる巻いては解き放ってきた。社会土壌に蒔かれた時から始まって、長い物には巻かれ、勝負に負けては根性根性ど根性で巻き返し、若手を巻いては仕事を任せて、ライバル負かして表舞台を舞ったこともある、階段踏み外して舞台の奈落へ落ちたこともある。

 と、その時。
「ちょっと待った!」と物言いの声かかる。
 妄想の暴走止めた、ドタバタ劇。そうだ、猫をお風呂に入れようとしていたんだっけ。首根っこつかまえて、今日こそは綺麗にしてやるぞと意気込んでいたさなかの白昼夢。物言いは嫌がる猫の必死の懇願、全身全霊を四肢に込めた抵抗凄まじい。
 手も足も出ない状況のはずなのに、何よこの伸ばせるだけ伸ばした手足のジタバタ劇は。
 このようにして今日もまた「自分ではどうにもできないコト」の連鎖で世界が繋がっている。
 


  

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