幸せの美味しいひと口。
「焼き豚、その小さな塊をひとつくださいな。4枚だけスライスしてもらってもいいですか?」
人の気持ちを客に置いた主人が、張りのある気まえのいい声で快諾する。長年商店街に根を張りつづけた、住民の隣人たる店である。
商店街にはもう一軒、肉を売る贔屓の店があり、そちらの焼豚は煮豚に近い。圧力をかけて肉をほろほろにするとろっと系の焼豚を供す。
どちらも人気で、商店街の常連は、その日の気分で店を選ぶ。
今日は、しっかり焼いた系の弾力ある焼き豚を所望した。だから。
「昼間はすみませんでしたね」昼過ぎ店に寄った時間帯に、朝仕込んだ焼き豚はすでに売り切れていたのだった。だから午後仕込みの第二弾に期待をつなぐ。
「夕方5時に上がりますよ」その言葉を胸に、再訪。
夕方に出来上がる焼き豚だもの、売り切れになるなんてことは考えてもいなかった。だから呑気にかまえて6時過ぎに行ったら、すでに最後の一塊しか残っていない。
「もしかして、これ最後のブロック?」
「ほかは全部売れてしまいまして」
危なかったあ。「最後のひとつでも、残っていてよかった」。顔を覚えてくれていた主人も、杞憂に終わった心配と安堵を混ぜてほっとため息。
もう1軒と違って真空パックで取り置き販売をしないこの店は、売り切れたら名実共に販売終了。奥のほうから『とっておき』が出てくるようなことはない。
なにはともあれ「よかったぁ」
崖っぷちから救われたような嬉しさは、解答が正か誤かどきどきしながら判定を待つ子供がもったいぶられて最後に褒めてもらえた感激とどこか似ていた。
包みを開く。まだ熱の冷め切らない肉が、ぷくと張りを保ったまま現れる。4切れスライスされている。そのスライスされた4枚を皿に乗せ、添えられたタレを一筋振って、ラー油と豆板醤、コチュジャンを混ぜた白髪ネキを作って添えた。
これだけでご馳走になる。炊き上がって少しだけ蒸した出来立て白飯にそれらを乗せ、箸でひとすくい。湯気の上がる白飯と焼き豚、辛味の効いた白髪ネギが、箸の上に鎮座する。均衡を崩すのは、喉から上がってくる食欲の臨界点だ。
ごくり、生唾。ぱくり、ひとくち。もぐ、もぐもぐ。これのどこに美味を否定する要素が潜んでいるといえるだろう。
食は幸せの素。どんなにへとへとになったって、嫌なことがあったって、至福の美食には、たとえ不幸がしがみついてこようとも、全力でふるい落とせる力がある。
人は、人工的に作られた社会の中で、試練を強いらながら切り抜けていかなければならない。社会の激流で幸せに感じられるものがひとつでも多く得られていれば、それこそが勝ち組ーーそう信じてまたぱくり。
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