どちらまで?「蓋の開いてる所まで」
霊園あたりに住んでいる。
飲みの帰り、タクシーに乗ったりすると、酔いの後押しもあって運転手を揶揄いたくなってくる。
「霊園北の抜け道に入ってください。住宅地の反対側に抜けるあの道」
こうやって、わざわざ裏通りで遠まわり。
霊園を抜けてる途中に一言放つ。「その、墓石の開いているところ、右手奥の。見えます? その少し手前でいいです」
運転手、目を見開いて右手に該当墓石を探すも、そんなのはない。こちらはその隙に後席で身を小さくしておく。
墓石の蓋が開いていること自体が不気味なのに、その墓に帰宅しようとする酔狂な客である。これってもしや、と勘の悪い運転手でもいよいよ気がつく頃である。怪しさが募り、恐怖の扉が開かれんとしているのだ。
これって、まさか怪談じゃないよね? 怪談だとしても、俺がその貧乏くじを引くことになるなんてこと、あるわけないよな。
イヤな感情が湧き出て充満し、肝を冷やしていく。
だけど怖さを感じたら最後、蜘蛛が獲物を絡めとるがごとく、恐怖の金縛りへと陥ちていく。
それでも運転手もプロである。ちびりそうな極限に追い詰められるも、怖さに耐えておそるおそる「お客さん、見当たりませんぜ」とルームミラー越しに後席の様子をうかがってくる。だけど身を屈めて姿を消しているものだから、乗ったはずの客の姿がルームミラーの角度をいくら変えて探しても、見当たらない。
「ひっ」
運転手、もしやの遭遇に恐怖を抑えきれなくなって、凍った悲鳴が口から漏れる。急ブレーキをかける。車体がタイヤを軋ませて止まる。
車が制動し切るや否や、運転手はドアを開けたままタクシーを放り出し、一目散に逃げ出してしまう。
俺たち世界では夏の恒例行事さ。だからときどき、やる。幽霊の密かな夏のお楽しみ。
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