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栗を拾う。

 毎年この時期になると、公園のひときわ踏みしめられる場所。見上げれば、紅葉しかかった葉々の影からイガイガが顔を覗かせている。見上げずとも地上に散乱した空のイガが、そこに栗の木があることを如実に物語っていた。

 栗の実はすでに地上にはない。落ちたそばから拾われていくせいだろう。

 だが、どれだけ背伸びをしても、木の枝でつつこうと試みても、20メートルはあろうかという栗の木の高いところに実は、さも秋本番はこれからさとでも言うように燦然と優越の虹彩を放ちながら居座り、その実の在処はあまりに遠いせいで届かない。ちっぽけなひとりの人間ごときの手に負えるものではなかった。秋のそよと吹く風に揺られ、地上で阿呆のように口を開け落ちゆくのを待ちわびる人間に、あるはずもない鼻をふんと鳴らす。

 根比べだった。栗の枝にしがみつこうとする秋の風情は栗のプライド、その固執が勝るか、そよとでも吹く風に重い頭を支え切れなくなって落下するのを待つ人間の忍耐が勝つか。

  1分もしないうちに、ぼとりと音がする。
 ひとつ、落ちた。
 ひと粒、ゲット。
 公園内の半ば放置しっぱなしの半野生種としては粒が大きい。
 公園散歩の目的は、栗の実の落下待機時間とすり替わり、切り株に腰をかけて待つこと30分。わずか30分なれど、たわわに実った栗を8粒手に入れた。
 
 栗の木の下は、秋になると踏み固められていく。どんどん地表が硬くなるにつれ、秋が深まっていく。そしてこれでもかというくらい固く踏みしめられたそのあとに、まっさらな雪の幕が降りてくる。
 

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