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【二輪の景色-20】パステル画のように。

 油絵は経験みたいなもの。重ねていって完成度を高めていく。やり直しのきく人の道。望めばまったく違った絵を上塗りし、隠蔽工作に奔走することだってできる。そして最終型だけが記録に刻まれる。
 水彩画は忘れられない思い出のようなもの。通過すれば元には戻せぬ決意の試練、一発勝負の人の道。望むと望まざるとにかかわらず、物的証拠が積み上がる。駄作に嫌悪し破棄することがあったとしても、筆を止めてひと段落させたとたんに最終型。物的証拠を隠滅しても、心に刻んだ最終型は除光液でも落とせない。
 
 絵は描くごとに世界が始まり、育ち、閉じていく。火で焼かれた陶器がいずれ潤いを失い固くなっていくように、絵も筆を止めると静止する。1枚描き終えるごとに物語が人生棚に飾る置物になっていく。

 弾かれなくなったピアノが狂気の声をあげることを知っているから、描かない画家にはなるまいと決めている。
 描く。描き終えてはまた描く。
 そのリズミカルな等間隔のリズムは、あれと似ている。
  
 絵を描くことに終わりがないように、人の道にもゴールはない。人ばかりじゃない。生きているものすべては生きている途中に終わるのだ。人生ゲームのように上がっておしまいということはない。

 描き終えた時に納得がいけば完成型。いかねば未完成。未完成だからと意気込んで手を加えても完成しないことだってある。完成しないどころか、ほとんど全部が途中に終わる。納得の度合いいかんにかかわらず、筆を止めた作品を最終型と呼んでいる。

 人は完成というゴールを求めたがる。だけどそんなものは最初から存在しない。人は通過点ごとに一喜一憂しているだけなのだ。過ごしてきた時間をパステルに彩り、嫌な思い出を都合のいいように濃いめのインクで上塗りしながら。
 
 過程にこそ味わうべき真相が隠れている。旅も、人生も。走ること自体に一喜一憂するオートバイみたいにね。


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