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僕らは生きているんじゃなく、生かされているってことをうっかり忘れていたよ。

 反対、抗議も何のその、薄めて流しちゃうし。虚勢張って爪先立ちで発射しちゃうし、失敗したけど。墜落したなんて言っているけど、本当のところは撃墜やも知れないし。
 道徳の授業は、人を敬い、気遣うようにと教えていたっていうのにね。現実は、講義を受けていたのとは大違い。人は人を嘲り、蹴落とすように、が、世界のニュース舞台を駆け巡る。
 もしかして、たった一握りの人がその他大勢を牛耳るために、僕たちは「言われたことを素直にきくいい子に」育てられていたのかもしれないね。
 だとしても、育った僕らにも意思はある。

 どれだけ偉くなったって、お金持ちになったって、生活曲線は伸ばせても生命線は伸ばせはしない。保険適用外ってのがあるからお金があればちょっとは違うのかも知れないけれど、所詮誤差の範囲止まりなんじゃない? 

 僕らはタイムラプスの閉じ込められる記録の上に生きている。牛耳る人も牛耳られる人も一派一絡げの鳥籠の中で生きている。ナンピトも、その鳥籠を傍観することなど出来はしない。
 偉ぶる人も偉ばれる人も、所詮は同じ穴の狢、籠の中の小鳥、井の中の蛙。

 見上げてごらん、夜の星を。無数にあるはずの星々なのに、上空の空は限られていて、だからみんなそろっておんなじ星を見上げているよ。

 いいじゃないの。みんなと同じで。僕らは他と違っていないことでホッとするようにできている。イキがったって、人はみな、ご飯を売る人、車を作る人、服を作る人たちのお世話にならずには生きていけないものだから。偉そうにああだこうだと指図する人だってみな同じ。友達の輪は面識ある人で繋がっていったけど、社会は面識のない者同士が生地で、食材で、金銭のやり取りで繋がっていたんだよ。
 あ、役所の職員を装うやばい人とも何気に繋がることがあるものだから、そのあたりは細心の注意でうまいこと切り抜けてちょうだいね。

 そうだよね、そうだったんだよ。すっかり忘れていたよ。僕らは生きているんじゃない。お膳立てされた社会に生かされているんだよ。
 殺されるようになるようではいけない。誰かの利益のために死んではいけない。生かされるべき者として、命をまっとうしなければならない。人が死んでしまう可能性のあるようなことも決断してはいけない。させてもいけない。
 戦争、だめ。
 でも今は、背後から戦後が終わろうとしているような気配が迫りつつある。終戦が終わる条件はたったひとつしかない。
 開戦。
 生かされているもの同士が潰しあってはいけない。
 残されていく記録に汚点を残してはいけない。

【波に乗ってもドツボにハマって足掻いても、ぜんぶ消せない記録として刻まれていくんだよ】

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