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プレゼントの。

「誕生日プレゼントだ!」と君は破顔する。喜びの種が顔からいっせいに花を咲かせたみたいに、嬉々として身も心も躍らせる。
 今度は僕の番さ、と彼が含みをもって口角を上げて言う。「これまでたくさんもらってきたからね」

 与えることで喜びを得るには、相応の愛を享受してこなければならない。かつて『アメリカインディアンの教え』でドロシー・ノルトが教えてくれたように、愛で包むには、愛で包まれてこなければならなかった。

 愛で包まれたことなんてこれまで一度もなかったさーーそんなふうに、ひがんだり、ひねた発想しかできないようなら、まだ現実を見ていないことになる。「生まれてきてくれてありがとう」と感謝を込めた愛があったことに、まだ目を向けていないのだから。

 喜びの衝撃というものがある。誕生日でなくっても、記念日とか。サラダ記念日にだっていい。小さな喜びにも、裏っかわには大きな愛があるもんだ。その愛が紡ぐ喜びの衝撃。

「いい意味で驚かせることが好きなものでね」と彼は照れ笑いを浮かべて去っていく。
 だいじょうぶ。愛は、入鋏された切符じゃない。使っても使っても、枯渇することなく、こんこんと湧き出るものなんだ。少なくとも1年経てばまた誕生日プレゼントを持ってやってくる。新しい『喜びの衝撃』の演出を携えて。

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